麗江を発ちバスで北へ向かう。やがて山間部に差し掛かり越えては下りを繰り返す。アカマツだろうか?松の林が目立つ。
途中、トイレ休憩で展望台ある場所にバスが停まる。人が立ち留る所には必ずと言っていいが農家の人たちであろうか農作物を販売している。トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモ。少し買ってみんなで分けて食べてみるがなかなか美味しい。
出発して2時間ぐらいで金沙江(きんさこう)に出る。長江の上流でもある。この地域の山々は赤土なので流れる川の水も茶色く濁っている。
今回は茶馬古道を訪ねる旅。こんな大河があるなら船で輸送もあったのでは?と疑問を持った。がしかし、それは愚問であったことがすぐこのあとに分かった。
ゆったりとした流れの金沙江がやがて峡谷に差し掛かる。「虎跳峡」(フーチャオシャー)と言う激流の渓谷なのだ。
右側の絶壁に岩を砕いて造った道が見える。
谷はいよいよ狭く、川はいよいよ激流と化す。
峡谷一番の激流。右斜め前方の流れの中心部に小さな岩が見えるでしょうか?「虎跳峡」。虎がその岩をステップとして川を渡ったと言う言い伝えからこの名前がついた。
今は観光地として整備されてその激流の間際まで行くことができる。凄い迫力!!
「虎跳峡」を往復6キロ歩いたあと再びバスで2時間ぐらい。バスは一段と高地へと進み、景色や陽光などが変化。空気が違ってきた。川が流れその向こうに草原が広がり、山には雨を降らす雲がかかっている。チベット族の住む地域に差し掛かったことを予感する。
景色の良い場所でバスを降りると「待ってました!」とばかりにチベット族の女性や子供達が近寄ってくる。ヤクのヨーグルトや麦などどうかと聞いてくる。少しでも現金収入を求めているのだろう。
建築中の建物の横で、牛、馬、ヤクが混在して草を食んでいる。海抜はすでに3000mを越えている。
いよいよ香格里拉の街に到着。
ここで一度正式な訪問地を確認しておきます。「中華人民共和国雲南省デチェン蔵族自治州香格里拉県」。チベット文化圏の南東端にあたります。2001年に旧称「中甸」(ちゅうでん)から改名。
さっそく街の散策にでかけてみる。空気が薄くゆっくりと歩かないと身体がついていかない。道の段違いをひょいっと飛ぶと頭がクラリ。海抜3000mを越えているを改めて実感。従って、お酒店でいろいろと尋ねたがなんだったか覚えていない。メモとる気力なし。orz
香格里拉の古城地区。石畳と両脇にならぶ建物は麗江とも似ている。
店頭のモノをチェックしてみよう。ヤクの尻尾(ハタキだそうだ)、テンのような動物の毛皮、ヤクの骨細工、銀細工の刀、ヤクの頭骨(ホンモノ?)など。動物の毛皮などが多い。
やがて広場に出る。日本なら焼鳥と言ったところだろう。こちらではヤク、ウシ、豚、鶏などの肉の串刺し。
路地は楽しい。なにやら家族(親族?)の人達だろうか?言葉は全然分からないけど「やあやあどこに行くところ?」みたいなのんびりとした会話。なんかこちらまで幸せな気分に。
街の丘に見える摩尼車(マニくるま)。チベット仏教で使う転経器。よーく観察してみるとゆっくりゆっくりと回っているのが分かった。下で信者の人達がお経を唱えているのだろう。
この明るさで既に夜8時過ぎ。広大な面積の中国で時差はないのだから西の果てにある雲南省では北京と2時間ぐらいの差はあっても不思議ではなかろう。
レストランの入口にかけてある「のれん」(笑) 乾燥しているので腐らないのであろう。
食事が終わってホテルに帰る。
「これぞシャングリラホテル!」ではありませんのであしかれあず。翌日オープンを控えたホテル。私たちは開店前に泊めていただくことになったようです。
シャングリラ(Shangri-La)は、イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが描いた小説「失われた地平線」に登場する桃源郷(ユートピア)の名称。
小説にあやかって県名を変えるなんて、なかなかやりますね。
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