October 31, 2009

「能」の観賞は2〜3回あるかないかである。日本を代表する文化であるが、残念ながら能と親しむ経験は乏しい。
そんな私が能面と向き合う機会を得た。作者のお話を聞く前に、まずはじっくりと能面が拝見する。静寂、微笑、生気、虚空、いろんな言葉が頭の中を過る。瞬く間に、その美の世界に魅せられてしまう。

作者の日下史一(くさか・ふみかず)氏。能面師としてのは名は「日下小左衛門」。兵庫県朝来市石田、1947年生まれ。22才で能面に興味を持ち、以後今日まで能面を創り続けていらっしゃる。そのきっかけをお訊きしてみた。「高校時代、音楽好きでバンドをつくり、近所のお寺を借りて練習しているとふと仏像に魅せられた。音楽は瞬間のエクスタシーだが、仏像に永遠のそれを感じた」と。なんとも意外な、でもなにか納得するお話でもある。

日下氏の使う材料は、ほとんどがヒノキ。「能面は左右対称ではないのに注目して欲しい。能は舞台左から登場し、左へ退場する。能の物語はハッピーエンドが多いが、登場の時(顔右半分)は、少し悲しい表情、退場の時(顔左半分)は、微笑みを感じる表情となる」。何とも蘊蓄のある解説である。
鬼、男、女、老人、霊の種類があること、塗りが重要であり、納得いくまで時間が掛かること、凹凸の少ない面の方が難しいこと、など、能面製作についてお話を聴く。

触って良いものかどうか逡巡していると、日下氏が「自然光でみる能面は、また室内と全然違う表情がある」とのお話。さっそく、縁側で眺める。
照明の下で見るのとは、まったく異なる表情が現れる。神社仏閣、城址、御苑などで行なわれる薪能を思い出す。かがり火の下でも行なわれるのだから。

今回の例会は、「多々良木みのり館」(兵庫県朝来市)で行なった。そう言えば、但馬学10周年記念の記念イベントをこの会場で行なったのだ。印象に残ったテーマに対してその時の講師(語り人)を再びお招きして、トークを行なった。コーディネーターの役をさせていただいたのが懐かしい。
それからさらに10年が経ち、但馬学研究会ももうすぐ20年を迎える。1990年7月に「足元を知る」「但馬を知る」ことから始め、たくさんのコトを学び、たくさんのコトが生まれた。そして伝えたいたくさんのコトがある。まだまだ但馬学の活動はこれからだ。
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July 25, 2009

但馬学の例会は、原則毎月第4土曜日に行なっている。5月例会は、折からの新型インフルエンザの発生で、但馬中が一時期会合の自粛を行なった時期と重なり、中止となった。19年やって来て、これまでに中止となったのは「但馬の祭典」のビッグイベントと重なったときと、2004年10月の台風23号襲来の時ぐらい。
そして個人的な用件で6月を欠席したので、私としては3ヶ月ぶりの但馬学となった。
今回の会場は、神鍋高原にある郷土料理亭「和楽」である。

食事の後は、平成21年度の例会は、何をするのか議論。KJ法を使って、会員みんなの知りたいこと、興味のあること、などを連想ゲームのように紙片に書き込みながらみんなでアイデアを出し合った。

これまでも、みんなでやりたいテーマを決めて来たが、19年やって来るとテーマを見つけるのに一苦労する場面も。小グループに分かれて、みんなの連想(希望)を繋いで行くと、何か新しいものが見えて来る。今年も、興味深いテーマで例会が続きそうだと、楽しみになってきた。
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February 15, 2009

今月の但馬学は、赤石集落(兵庫県豊岡市)を訪ねた。あと数キロで日本海に出る円山川の下流域。海抜0m地帯に広がる赤石集落の田園風景。

「赤石」と言う集落の名前は、この赤い石の巨岩が集落のすぐ北側にあるんでついたとの節もある。神社に登る参道下にあるこの家の石垣は、同じくこの集落から約500m北にある玄武岩に交じって「赤石」が組み込まれている。

今日のテーマは、赤石集落に祀られている兵主神社住吉大明神の神事として継承された「千本杵餅搗き」である。毎年、2月17日(近年は一番近い日曜日)に、神社の境内で行なわれる。

お籠堂の中の「餅米の蒸し器」。桶である。大きな鍋にお湯を沸かし、蒸し器と大鍋を密着させるのが「然る」(さる)(画像で水を掛けている部分)と言うそうな。いい餅ができるかどうかの肝心要のところだそうだ。桶の底には一つの穴があいていて、そこから吹き上がる蒸気を満遍なく蒸し器のなかに行き渡らせる道具が仕掛けてある。

お籠堂に集まった地区の人が見守る中で4人の人が杵を持って餅をつく。

4本の杵は、互いに同方向を向き、餅米を「搗く」と言うよりも「捏ねる」と言う感じだ。実際に出来上がったお餅は、米粒の状態が残っている。

村の長老が、搗き上がったお餅にアンコをたっぷりとまぶしていく。

赤石地区の長老・坂井芳雄さん(88歳)。昭和27年に兵主神社のお籠堂が全焼した時に大切な古文書が焼けてしまったそうだが、その後、村の人達でお籠堂を再建し、千本杵餅搗きを継続したお話を聞く。

今回の段取りをしていただいた峠さん。但馬学の熱心なメンバーの方である。ユーモアがあってとてもすてきな先輩である。古文書の会にも参加され、生まれ育った地域の歴史、風土に対して高い関心を持っていらっしゃる。これからも一緒に「但馬探求」を続けていきましょう。
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January 24, 2009

都合が悪くここ2回連続欠席してしまったので、3ヶ月ぶりの但馬学。久しぶりに雪の中を車で45分。今月は兵庫県香美町香住区にお邪魔した。例会の前の昼食は、目の前が海と言う立地にあるお寿司屋さんで「海鮮丼」をいただく。カニミソ付きなのが香住らしい。ここは松葉カニの漁港とカニ民宿で有名。赤味噌のみそ汁もなかなか美味しい。

さてさて、今日のテーマは「ちょっと科学の目で見た水産物の”旬”と”おいしさ”」。建物は「但馬水産技術センター」。このセンターは、「兵庫県立農林水産技術総合センター」の一組織として存在している。日本海の漁場環境・海洋資源の把握と開発、水産加工利用技術の開発や技術指導を行なっている。

講師は食品加工流通部の森俊郎氏にお願いする。民間企業から持ち込まれる加工技術の相談や新製品開発時における成分分析や安全性の確保などの相談に応ずる仕事などをされている。森氏の「研究のための研究ではなく、民間企業をサポートし「成果」をださないと意味がない」と言う言葉が印象的でした。

カレイ、ハタハタ、ホタルイカ、マガキを例に、体長・季節などの違いに寄り、その脂肪分、水分、タンパク質、エネルギーなどがどう異なるのかの比較分析を学ぶ。
「ハタハタの一夜干し」を例に加工工程や成分の変化を聞く。「どのサイズや恰好したのが美味しいのか?季節は?種類は?色つやは?」と、下心いっぱいで聞いていたのですが、カレイでもハタハタでも好みがある。また、美味しさは、見た目の美味しさ、歯応え、などの要素も大切とたしなめられる。(^_^;;(そりゃあ、そうだ!)
それに、獲れたてか冷凍か、鮮度の違い、サイズ(体長、重量)、季節の違い、加工する量の違い、などで塩加減・乾燥時間と温度を変える。そこが職人の技であると言う。

メンバーからは、いつも以上に熱心な質問が続く。食べるものは身近である。(笑)
例会が終わって山陰海岸を通って帰る。お昼過ぎまで降っていた雪があがり、真冬の日本海に青空がのぞく。向こうに見える白い雲は山脈にぶつかり雪を降らす。
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October 26, 2008

「山里の恵み」(但馬学10月例会)では、もうお一人の方にお世話になりました。いきなり正面からの写真で登場していただきました。その方は太田吉男さん。私のブログでは、面と向かったアップの写真は掲載しないのですが、太田さんのお人柄と存在感に感動して、掲載させていただきました。m(_ _)m。太田さんは「ドライブイン山里」の井上さんとは漁仲間(?)である。
30年間「移動スーパー」で、山間部を回って村の人達に食材を供給して来た。その間には、村の人々の数が減少し、自家用車の普及などで若い人は町のスーパーで買い物。村の変化をつぶさに見て実感されてきた。現在は農業をされているが、海・川で漁をし、山では、イノシシ、シカなどの猟もされる。
「今年は秋が遅い」(温暖化?)、「昔は川に葦がなかった」(牛を放牧していた)、「今年はキノコがでない」(今年本土に上陸した台風は0。雨量が少ない?)、「川ガニ少ない」(2004年の台風23号の大水で流された?)。太田さんからは、里山の動物、植物、自然の変化のお話が生で聞ける。
但馬学例会の後、「まあ、せっかくだから食べて行けーや」と、太田さんが仕留めた食材をいただく。これぞ「山里の恵み・番外編」である。

イノシシの肉。

タレを漬けたイノシシの肉は、炭火で焼く。特に骨付きの部分は美味しい。

こちらはムジナの肉。一見、牛肉の細切れのようである。

なかなか食べる機会はないのがムジナの肉。食べやすくするために、細切れにしてある。スキヤキ風に煮て食べる。ゴボウで若干ある肉の匂いが消える。なかなかあっさりしていて美味しい。

こちらはアンコウ。深海魚である。これも車で10分も行けば到着する日本海の幸である。

アンコウ鍋。プリプリとした弾力の白い身が口の中で弾いて美味しい。
「美味しい」「美味しい」「美味しい」の3連発。(笑)
この「美味しさ」は、これ以上どう書こいたらいいのだろう?この「美味しさ」の源泉は「山里の恵み」のありがたさから来ているものだろう。山里のこれからをどうやって守って行くのか、私に何ができるのか?、考えなければバチがあたりそう。そんな気持ちになる1日であった。
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October 25, 2008

今日は但馬学10月例会。メンバーのKさんと共に、今回の例会の担当をしました。題して「山里の恵み」。竹野町南地区(兵庫県豊岡市)の山里の食材を使ったお料理をいただきながら、その漁や生活の様子を伺った。今日の講師は、その名も「ドライブイン山里」を経営されている井上貞義さんとその漁の仲間の方。「秘密にしていたいとっておきのレストラン」に思いっきり登場していただきました。(^_^)

お店に入ると、いきなりこれ!川ガニがずらーっと並んでいる。この辺りの秋の味覚である川ガニをいただきながら、と井上さんにお願いをしたら、なんとこんなに。集合時間に集まってくるメンバーも私も思わずゴクリと生唾を呑む。これ全部、井上さんがお店のすぐ横を流れている竹野川で獲ってきてもの。今年は数が少ないと聞いていたのに。井上さんのお心遣いにまずは感謝である。

これが「川ガニ」。地域によっては「ズガニ」「モクズガニ」などと呼ぶ。体長20〜25cmの立派な川ガニ。「川ガニ釜飯」が炊ける前に、まずこの湯がいた川ガニをいただく。

さてボチボチ「川ガニ釜飯」が炊けてきた。ご飯の上には、川ガニ1匹がまるまる一緒に炊けている。蓋をあけると、川ガニの香ばしい匂いがプーンと漂う。

「川ガニ釜飯」の食べ方にはちょっとしたコツがある。のっかっている川ガニを一旦、そとのお皿に取り出し、殻から中身を丁寧に取り出して再びご飯の上にのっけていく。川ガニのミソは、風味があって、そんじょそこらのカニミソとはワケが違う。

さて、登場していただきましょう。本日の講師であり、川ガニを獲る漁師であり、「ドライブイン山里」の料理人である井上貞義さんである。
出身は、このお店のある竹野町森本からさらに上流にある小さな集落・川南谷(かなんだに)。平家の落人の村との言い伝えもある最上流のドン着きの集落。現在は5軒しかなく、限界集落の一つになっている。かつて自給自足の生活であった。焼き畑をやりながら、ソバの栽培もしたそうだ。
この「ドライブイン山里」の名物は蕎麦。そば粉と自然薯(じねんじょ)で練った井上さんのこだわりの逸品。ここのお蕎麦は本当に美味しい。また、地元の栃の木から採取した栃の実入りの「栃餅ぜんざい」も美味しい。
すべて、お話をお聞きした井上さんの手に掛かった川ガニ、お蕎麦、栃餅ぜんざいのフルコースをいただいた。何とも身も心もとろけるような例会であった。
一応「但馬学」なので、「ガクジュツテキなタンキュウ」も必要なのだが、これだけの美味を前にして「ショクヨクテキなタンキュウ」になってしまいがちだったが、こんな例会もあっていいんでは、などと勝手に納得しながら、無事に例会を終えることができました。
山里の恵みを、ぜひ「ドライブイン山里」で味わってみてください。
「ドライブイン山里」
兵庫県豊岡市竹野町森本460
tel : 0796-48-0310
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September 28, 2008

今月の但馬学は「おおや高原有機野菜」(兵庫県養父市大屋町)の産地を訪ねた。この地域の正式名称は「県営農地開発事業 南但馬東部地区」。山間部に142haの広大な土地を開発してできた。最初は国事業として計画されたが、兵庫県の事業として約30年前に造成された。「飼料」「花木」「野菜」の区画に別れている。

野菜畑のあるところからの眺望。遥か下に旧・大屋町の中心部が見える。野菜を栽培し、出荷するのにかなりの山道を上り下りしなければならない。

今回の講師は、「おおや高原有機野菜部会」の和田真由美さん。ご夫妻ともに元・公務員、退職されてこの「おおや高原」に土地を購入。主にコープ神戸に有機農法で栽培したホウレンソウ、キクナ、ミズナなどを出荷されている。他に、ネギ、ミニトマトなどもある。複数種栽培するのは、輪作をして土壌成分のバランスをとるため。

キクナとミズナを栽培。収穫時期が異なるので、ミズナを先に収穫し、そこを通路としてキクナを収穫するそうだ。いろんな工夫をされている。

和田さんの説明を聞きながらビニールハウスを覗き込む。有機栽培をするための堆肥と肥料の説明を受ける。虫の大量発生、連作障害と戦いながらたいへん労力をかけて栽培されている。農の現場を見る、知る、ことはとても重要なことだと実感する。

今月の例会のもう一つの目玉は「おはぎ作り」。メンバーの奥様に段取りをお願いしてあった餅米、こしあん、きなこで、みんなで手分けをして「おはぎ作り」私の役割は、ご飯をすりこぎで「半ごろし」に潰すこと、そしてきなこをまぶすこと。どちらも初めての体験である。(^_^)v

できあがった「おはぎ」。味は当然ながら最高!でした。段取りをしていただいたSさんに感謝である。

和田さんの有機野菜。ミズナ、キクナ、ミニトマト、レタス、そして地元産の「八鹿ブタ」が入っている。新鮮で美味しい。

高原の清々しい空気を吸い、みんなで料理を手伝い、配膳をする。みんなで「いただきまーす」(^o^)
なのだ。こう言った例会も但馬学の醍醐味なのです。
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August 24, 2008

「但馬の食」のテーマで2年目に入った。先月の総会でも検討したように「食」は幅が広く奥が深い。視点を決めて取り組もうとの議論から、「食の歳時記」と言う視点が定まった。
その先陣を切って、但馬学の会長でもある島垣さんの家の年中行事を発表してもらう。食に関することなので奥様も登場してもらった。養父市大屋町は農山村エリアなので、まだまだいろんな風習、慣習が残っている。

「食」に関連する年中行事を表にしてまとめていただいた。1月だけでもたくさんの行事があり、その日には決まった食をいただく。
元旦(1月1日) 祀る=鏡餅、菱餅、餅花、みかん、昆布、干し柿、栗
雑煮となます(ユズリハを敷く)
七日正月(1月7日) 七草粥
どんど(1月14日) どんど焼
小正月(1月15日) 小豆粥
となる。
会員から1年間の行事とその時にいただく食を出し合うことにする。どんな「但馬の食の歳時記」が出来上がるのか楽しみだ。
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July 21, 2008

平成20年度の「但馬学研究会総会」を開催した。前年度は「但馬の食」をテーマに1年間活動してきたが、とても充実した1年間であった。衣食住の「食」であるから、やはり身の回りの話題は事欠かない。「郷土料理」「イカ」「ブロイラー」「コウノトリ米」「地野菜」「出石そば」。さらに食文化、食の安全をテーマに公開講座も行った。

これから始まる平成20年度のテーマを議論したが、「但馬の食」をもう一度やろう、との意見が多数でた。前年度の興味深い例会からして自然な流れであろう。
しかし、「食」と言っても幅が広く、また深い。さらにどんな切り口で例会を企画するのかの次なる議論に入る。そこから出て来たのは「歳時記」であった。「但馬の食」を季節、行事、祭、冠婚葬祭、などの時間軸の中で捉えてみよう、となった。もう1つ、地域(エリア)による「食」の特徴、違いを掘り下げる、つまり空間軸の提案も出る。なんか、面白いことが始まるぞー、ってワクワクして来た。
但馬学のホームページでは、毎月の例会案内をしています。会員外の方の参加も出来るので、興味のある方はどうぞ参加してください。一緒に「但馬[楽]」しましょう。(^_^)
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June 28, 2008

ここは出石町商工会館から眺めた出石城趾。兵庫県豊岡市出石町の中心部である。出石町は3年前に合併して豊岡市となる。私の町(豊岡市日高町)も同じく合併し、今は同じ豊岡市として10Kmぐらいの距離にある。(車で約15分)
但馬学の今月のテーマは「出石そば」。満を持して登場。と言うのは、但馬学では定説とされている事に「ホント?」と疑問を投掛け、但馬の真の姿を学び、伝えるのが使命の一つである。

「出石そば」のスタイルは決まっている。小皿に盛った蕎麦と、出汁に好みで玉子、ネギ、山芋を入れて食べる。
このスタイルになったのには、一つのきっかけがあったと言う。元々、蕎麦を盛った小皿ごとに、出汁とネギをパラパラと掛けて、1枚食べては、残った出汁を次の小皿に注ぎ、また、次の皿へ、とそんな食べ方をしていたそうだ。今では、返ってそれが「ツウの食べ方」だと言う人もいる。
そのきっかけは、昭和40年代中頃に、全国で知名度を上げるために、大阪や東京でデモンストレーションしたその時。いくらなんでも、小皿のままで次から次に食べていただくのは、どうも恰好がつかない、と言うところから、今のお椀に出汁を入れ、蕎麦を漬けて食べる姿になったそうだ。また、その時点で、生卵や山芋トロロなどが登場したそうだ。最初から「生卵でないとダメなんだ」と言うオリジナリティがあったわけではなさそうである。生卵ファンの私にとっては、もっと確たる理由が欲しかったような気も。(笑)

今回の講師は、大橋直人氏(出石町商工会長)である。ご自身も「出石そば」も提供する食堂チェーンを展開されている。
観光地化すると、ややもすれば「後付け」の由来や取って付けた話題を作り上げたりするものだが、商工会長でもある大橋氏は、歴史的な背景、流れ、そして現代至るまでの「出石そば」「出石の町」の変遷を赤裸々に語っていただいた。私は「腑に落ちた」ことがいっぱいあった。
「出石そば」を語るには、次の二つの歴史的事実と時代の潮流がキーワードとなりそうだ。

一つは、宝永3年(1706年)、信州から上田城主・仙石越前守政明が出石城にやってきた。替わりに、出石城主松平伊賀守忠徳が上田へ。お国替えである。その上田城主仙石が信州から蕎麦職人を連れて来た。その技が、在来の蕎麦打ちに加えられた。信州からの「技の伝来」は事実なのだ。ただ、肥沃な出石の地域では、蕎麦の栽培は余り適さず、蕎麦を食す習慣は一般に広まっていたわけではない。
二つ目は、昭和48年(1973年)のオイルショック以降、地域産業の衰退が加速する。丹後ちりめん、但馬ちりめん、カバン産業、建築業などの事業所や従事していた人達の転職から「出石そば」の店舗が急速に増加していった。「出石そば」での「出石の町おこし」が始まったのだ。そこに、ディスカバー・ジャパンのムーブメントが重なり、「城下町出石町」「出石そば」が全国に知られて行った。まさに、時代の潮流の産物でもある。
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June 03, 2008

但馬学5月例会は、2カ所に移動して行なった。一番目の焼き畑農業についてはアップしました。その後、二番目のテーマで移動。こちらも書かないと5月例会の記録が中途半端なものになるので、どうしても気になっていたのでアップします。
焼き畑をやっていた日畑地区(兵庫県養父市八鹿町)をあとにして、次の会場に向かう。

次の会場へは、メンバーのKさんの車に便乗して移動。Kさんの娘さんMちゃんとジョークを言いながら田植えの終わった風景を眺めながらしばし楽しい会話が続く。

次にお話を聞かせていただくのは福田定雄氏。福田氏は、東京の会社で長年営業を担当され、仕事で全国を周り、当地の農業、漁業などの実態を知り、現地の美味しい地方の料理に魅せられる。その後、出身地の養父市で但馬の風土が育てた、味のある野菜を追求し、栽培している。

福田氏が先導して育て、収穫した大豆。「八鹿浅黄大豆」(ようかあさぎ)と呼ばれている。特徴は糖度が高い、皮が柔らかい。
福田氏は出身地の八鹿に戻り、地元特有の食材がないのか?と探求する。地元の美味しい食材に留まらず、こだわりの食材を集めて、豆腐、味噌、などさまざまな加工食品を製造、販売されている。
豊芽工房(ゆめこうぼう)
tel : 079-662-5608
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May 25, 2008

舞台は一転して、東京のど真ん中から山深い集落「日畑」(兵庫県養父市八鹿町)。但馬学5月例会なのだ。年間のテーマ「但馬の食」に沿って、今回は、昭和30年代まで続いていた、山間部に於ける焼き畑農業を取り上げ、その生活ぶり、そのご苦労や作業の知恵、など、食の原点とも言えるところを学ぶ。

今回、お話をお聞きする方は飯野増蔵さん(91歳)。この日畑で、長年、焼き畑を行ない、妙見杉の苗を育て、それを販売して生計を成り立たせ、野菜づくりもされてきた。特に、この日畑で栽培された小豆は「妙見小豆」と呼ばれた。

(飯野さんの家の土蔵)
山を焼くのは、お盆明けの夏。下刈りは、春の間に済ませて、刈った草や木々を乾燥させておく。山は、私有か共有山。焼き畑となるのは、山の斜面でも土深く、陽当たりの良い場所を見つける。

(洗い場)
焼いた最初の年はソバを植える。小豆は2年目。粟、ダイコンが2〜3年目。その後、育ちが悪くなると、そこは放置して他の場所焼き、移動する。

(家の前の畑)
焼くと、焼いた灰は肥料となり、虫の駆除となる。冬は2mの雪が積もる日畑。冬の間の仕事は、藁でわらじ、こも、蓑を編む。また、この集落の人達は、神戸の灘の造り酒屋に出稼ぎに行ったそうだ。

(斜面に建つ家は、畑、家、石垣で成り立つ)
最盛期には26軒あった世帯は、今は10軒。一番若い人で50代だそうだ。

お話を聞いた後、お別れをする時のワンショット。飯野さんと妹さんとそのご主人様。背筋をピンと伸ばして、まだまだお元気そう。
立派に「老いをくらす」方がいらっしゃることを知り、お会いできてとても幸せな気持ちになりました。
余談だが前日のシンポジウムで片倉もとこさん(文化人類学者)が私ならこう書くと「高貴高齢者」とおっしゃっていたのを思い出す。老いて積み重ねて来たことは「高貴」なのだと実感できた例会でした。
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April 26, 2008

今日は但馬学の例会で、須の谷(兵庫県豊岡市竹野町)に来ている。昨日までの表参道とは全く異なる環境にいることに興奮するし、ホッとする。

今月の例会場は、その須の谷集落の有志の方達が経営している「すのたにや」。湯豆腐をいただいた。その他に、コゴミのおひたし、野菜の煮付けなど。

今日のテーマは「但馬の食文化を考える」。講師は、地域活動管理栄養士の田中香代子氏。長年、県立豊岡病院で栄養士として活躍してこられた。

昭和40年代から栄養士の仕事をされた。その仕事を通じて、今日までの食生活の変化をお聴きした。ある程度想像し、実際に実感していることだが、栄養過多、アレルギーの増大、家庭での食事、学校給食の問題など、そこには本当に深刻な問題があることを改めて認識した。
「じゃあ、どうしたらいいのか?」の問いかけは、深くて重いものである。
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March 23, 2008

前回の但馬学公開講座『忍び寄る食と命の危機〜但馬の農と暮らしをどうする』で、私たちの食生活、日本の食料自給率の低下と農業問題、などを学んだ。
今月の例会では、「コウノトリ育む農業の取り組み〜自然と人間が共生する里山環境づくり」と題して、畷 悦喜(なわて・えつよし)さん(コウノトリの郷営農組合元組合長・コウノトリ育むお米生産部会長)のお話をお聞きした。

会場は、豊岡市立地域農業管理施設(豊岡市祥雲寺)。そこは、兵庫県立「コウノトリの郷公園」の真ん前にある。画像にある田んぼは、畷さんが米作りをされている田んぼである。画像をクリックしてください。ちょうど、2羽のコウノトリが畷さんの田んぼに舞い降りて、餌をついばんでいるのが見える。

講義をお聴きする前に、まずはみんなでお昼ご飯の準備。畷さんが作ったお米を薪釜で焚いて、みんなでオニギリを作る。畷さんの奥さんの指導で、自分の分のオニギリは自分でにぎる。以外と、オニギリをにぎるのは初めてのメンバーも多い。「オニギリはコンビに買うモノ」なんてことになっていないだろうと思うけれど。(^_^;;

どうですか?このオニギリ!(^_^)v
(形はともかく)
このお米を作られた畷さんと隣り合わせで、食べるオニギリは最高に美味しかったのは言うまでもない。

今日の「美味しい例会」は、お米ばかりではない。今日の食材は、すべて地元産なのである。
畷さんからは、お米、ホウレン草(1時間前に収穫したて)、白菜のお漬け物。お味噌汁のお味噌は、但馬学メンバーの手作り味噌。タクアンと大根のお漬け物も、メンバーが栽培した大根を自ら漬けた手作り品。豆腐は、メンバーの実家が豆腐屋さんから届いた超・こだわりの豆腐。オニギリをにぎる時に手にまぶした塩は、豊岡市竹野町の竹野浜の海水から作った塩。
究極の地産地消だ!
至福のお昼ご飯。
但馬学は楽しい!

畷さんのお話。
○但馬・豊岡市周辺を最後にコウノトリが絶滅したのは昭和40年代。原因は、営巣木の減少、農薬の使用、水田の乾田化。
○「コウノトリ育む米作り」で最初に考えたのは、有機農法を取り入れること。そして、組織営農。
○「育む」で意識しているのは、豊かな生態系の創出。例、田の中干し時期を6月中旬から1ヶ月延ばすことで、オタマジャクシの死滅を防ぐ→カエルが増える→カエルが害虫を食べる(例:カメムシ)。
○冬の堪水田も、やってみると米作りにも有効であることがわかった。
○生き物の数とお米の等級の相関関係。生き物が多いとお米の等級も高い。(堪水田は特に高い。)
○平成19年度のお米主要産地の概算金(仮渡し金)が示される。「こうのとりの育むお米」は、魚沼産コシヒカリに並ぶかそれを凌ぐ高価格で取引されるようになってきた。
○今後の課題として、上流から流れ来る川の水の水質。(農薬を含有など)。狭い地域での取り組みからより広域に広がる取り組みをすること。
お話の最後で畷さんが、「お米が美味いかどうかの評価は消費者がしてくれる。田んぼの評価はコウノトリがしてくれる」と話されたのがとても印象に残った。
コウノトリの野生復帰がそのまま農業の抱える問題を解決するほど単純な取り組みではないだろう。「コウノトリ育む農法」に注目することで、私たち自身が、身の回りの自然環境、生活習慣、衣食住に関心を持ち、何らかの「変化」を感じ、伝えて行くことが大切なんだと思った。
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March 02, 2008

但馬学公開講座を開催した。実はこの日の朝は8時前の新幹線に乗るためにまだ東京にいた。時間がないので、たまには良いかと私としてはめずらしく「ホットドッグ」をスタンドで食べた。驚くことにマヨネーズがタップリとかかっている。マスタードとケチャップだと思っていたのに、かぶりつくと口の周りがマヨネーズだらけになる。(>_<)
話は前後しましたが、今回の但馬学は公開講座。できれば年に1回程度は地域の人達と一緒に勉強をしようと考えている。今年の年間テーマ「但馬の食」に沿って、保田茂先生(神戸大学名誉教授、兵庫農村社会研究所代表)にお願いした。タイトルは「忍び寄る食と命の危機−但馬の農と暮らしをどうする−」と言う、まことにタイムリーな話題である。
結論としては、「日本の食文化は米。もっとご飯を食べましょう。」なのです。日本の農業が抱えている問題、食料の流通の問題、日本文化(特に食文化)を大切にすること、健康問題、環境問題へと議論は広がる。
しまった!午後は保田先生のお話なんだから、朝はやはりご飯を食べるべきだったと後悔。(笑)しかし、言い訳がましいが、東京にもよく出掛け、食事をする機会が多いのだが、「米を食べる、日本文化を意識する」からは、ほど遠い風景を目にすることになる。
今日のお話の感想としては「結論は分かる。しかし、国民みんなが意識してこの危機をどのように解決して行くのかは、分からない(分かっていてもどうやってやったらいいのか?)」
ただしその糸口は結局は、「自分自身、そして家族」の意識改革から始めないといけないと言うことが理解できた。

保田先生のお話は、農業関連(食料自給率、農地面積etc)資料や日本人の食生活の変化、国民医療の実態をたくさんのデータに基づきながら、ユーモアたっぷりに分かりやすく進む。
保田先生の印象に残った講義語録を。
○中国からの冷凍食品「ギョウザ問題」は、北京オリンピックまでは日中平行線だろう。
○ギョウザのルーツは稲作のできない中国北部。麦文化。日本は稲作文化。
○食品の安全基準は胎児(細胞分裂が活発)を基準にして考える。(影響大)
○戦後、経済成長の過程で、好景気→豊か→「食料は1円でも安く」の価値観(量販店など流通変化)→人件費・土地高騰→輸入食品→食自給率の減少
○「1円でも安く」とは、流通変化と戦後教育(古き事=悪しき事、日本文化の崩壊)
○親の子に対する責任とは「安全に暮らせる知恵」と「飢えることのない知恵」
○昭和40年(1965)食料自給率(供給熱量ベース)73%から現在40%に低下。(毎年1%)
○主要50カ国で、日本より下位の自給率の国は、砂漠地帯、極地の国。
○日本の作物の種は80%が輸入。(日本の風土に育つDNAが不足。だから農薬頼り?)
○平和りに食料を分配しながら、地球に暮らせる人口は80億人ぐらいではないか。
○現在60億人余り。あと約20年で80億人に到達
○今後の穀物国際価格の予測は、1994年を100として、あと20年で4倍(人口要因)、気象要因2倍、為替要因2倍。16倍になる可能性がある。
○カルシウムを摂るには、緑の菜っ葉(大根、カブラの葉)、豆、海藻
○インスリンは欧米人の半分。糖分の消化にハンディキャップ
○子供にもっと日本のおやつを。「干し芋、干し柿、かき餅」脂肪0、硬い(前歯を鍛える)
○歯を使わない食べ物は胃が弱る(現代人のおやつに多い)
○人間の血管を1本に繋いだら9万キロ。地球を2周とちょっと。
○サラサラの血液を保つのが大切
○子供達は学校や家から眺める風景を観ながら育つ→田んぼ(稲作文化、主食はお米)
保田先生の指摘は、どれも鋭く深い。本当に食と命の危機を感じた。もう「忍び寄る」どころか「日常的に目にする危機」であると思う。
お陰さまで、私の住んでいる但馬には山も川も海も田んぼもある。ただし、その自然を守っている人々が高齢化し、若者が流出し、徐々に荒れ果てて行きつつあるのが現実である。
但馬の美味しいものをいただいている生活者としては、生産者への感謝(関心を持つ)ことと消費者(私たち)が、もっと食について関心を持つことが大切なんだろう。つまり、加工食品ではなくもっと料理をし、地元産の食材を楽しむこと、その味覚を子供達や周辺の人達に伝達して行くこと。それが、ふるさと(但馬)を誇りに思い、日本の文化を継承して行くことになるのではないか。
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February 13, 2008
中国からの輸入食品が大問題になっている。私たち但馬学が公開講座としてこのテーマを選定したのは、輸入食品問題が発覚する以前ではあったが、まさに、タイムリーなテーマだと言える。
「但馬の農と暮らし」、つまり、自分の足元の生活がどうなっているのか?特に、生きていく上の基本である「食」の実態を知りたいと常々思っていました。
地元・豊岡市では「コウノトリ米」ブランドとして、無農薬のお米を栽培し、人気を博している。とても良いことであると思う。しかし、地元の農業を考えることは、結局は日本の食糧自給率の問題、安全の問題、流通の問題、つまり、農業全体の問題と向き合って行くなくてはならないのであろう。
講師は、保田茂氏(神戸大学名誉教授)。保田先生は、地元豊岡の出身で、ずっと以前から但馬の農業と食に対して提言をされて来られた。
但馬学としては、久しぶりの公開講座です。会員もたくさん集まりますが、一般の方の参加は大歓迎です。一緒に、講演を聞き、勉強し、議論しませんか。参加費は無料です。当日、会場にお越しいただければ結構です。
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November 24, 2007

今日は但馬学の11月例会。兵庫県豊岡市日高町浅倉にある「但馬養鶏農業協同組合」を訊ねた。私はこの日高町で生まれ、育ったのだが、物心ついた頃から「ブロイラー産業」は身近なものであった。昭和40年代は全国一のブロイラーの生産高を誇った一大産業。
果たしてそれはいつ頃から始まったのか?なぜ、但馬がブロイラーの一大拠点となったのか?なぜ、日高町が中心地だったのか? 多くの疑問が、今日の例会で解った。とても有意義な例会となった。

まず先に、工場を見学させていただいた。当然ながら、全員、白衣と帽子・マスクを着用して、消毒室を通り、工場に向かう。窓越しに加工室を観る。胸肉、もも肉、手羽元の3つのラインが稼働。1時間に4800羽の処理能力があるそうだ。金属探知器、X腺検出機など、最新の機器で細心の管理がなされている。

今日の講師、岸田直正氏(但馬養鶏農業協同組合・代表理事/組合長)。岸田氏は、ある経営者の会で以前から懇意にさせていただいている。但馬の養鶏(ブロイラー)業界の生き字引のような方で、そのリーダーシップとシビアな経営感覚にはいつも刺激をうけている、私の尊敬する経営者である。
ブロイラーは、昭和30年代初期に国策として始まった。当時の厚生省の良質な動物性タンパク質の推奨として、また、日米の貿易均衡の策として、アメリカの余剰穀物の輸出の受け皿としての畜産振興(養鶏が一番穀物消費が多い)などによって、ブロイラーが始まった。
ブロイラー(broil=網焼にする、broiler=焼肉用の若鶏)の種は、原種のもう一つ元の原原種として、アメリカが保有し、世界のブロイラーの総元締となっている。この種は、ヒナとして大手商社や専門商社を通じて輸入され、産地で飼育されていく。
話を、但馬に戻します。
但馬は農地面積が小さい地域(農業収入が低い)、昭和30年代初期には、化学繊維の台頭により養蚕業が衰退、農家のブロイラーへの移行が環境があった。また、全国に先駆けて、但馬のブロイラーが隆盛になったのは、消費地としての京都が近かったため。京都は一人当たりの鶏肉消費量が日本一。古くから鳥肉を食べる文化があり、鶏肉を柏(かしわ)と呼ぶ。
なぜ但馬の日高町なのか? 日高町十戸の北村和雄氏が採卵養鶏から肉鶏飼育に変更し、京都市の食鳥問屋へ出荷したのが、ブロイラー産業の端緒といわれているそうだ。昭和29年のことである。
最後に会員から「地鶏」についての質問が出た。いま、旬の話題である。日本で有名な地鶏の産地は、薩摩シャモ(鹿児島県)、名古屋コーチン、比内鶏(秋田県)であり、その遺伝子が4分の1あれば、「地鶏」と見なす。ただ、検査機関があるわけではなく、企業の自主的なルール遵守に委ねられているそうだ。地鶏の飼育規模(数)は小さいことから、全国で販売され、飲食店で消費されているの鶏肉の99%以上は、ブロイラーと言ってよいそうだ。
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October 27, 2007

秋色に色染め始めた境内。
ここは、隆国寺(兵庫県豊岡市日高町)。私の町いある代表的でりっぱなお寺である。春は、ぼたん寺として関西ではとても有名である。今年の但馬学5月例会で、かつて廃村「金山集落」にも縁があったと知ったので、例会後有志で隆国寺に立ち寄った。そんなご縁で、今回の例会の講師を、元住職・大田大穣(だいじょう)さんにお願いすることになった。

お久しぶりです!大穣さん。こう、親しみを込めて呼ばせていただくのも、もう20年以上前であろうか、仲間とコンサートや絵本作家の講演会などのイベントをやっていた頃からの、おつきあいであるからです。いつも、会場の最前列中央のシートにお座りになって参加される。後ろから見ていても、すぐに「あ、大穣さん!」とすぐに判る。(^_^)
その後、永平寺の副館長をされ、現在は長崎県の皓台寺の堂長でいらっしゃる。

今日のサブタイトルは、「南無温故如来・南無悉光菩薩」。つまり、ウンコにもシッコにも仏様がいらっしゃる、ということ。お釈迦様の教えを、いろいろと私たちの生活と関連づけて、特に但馬学の今年度テーマの「食」と関連づけて、講話が続く。
「料理をする、食べる、と言う生活そのもの、人生そのものが、本尊様である。」
「食材は、大自然がサポートしてくれたもの、それらを捕獲、収穫して、調理をして、誰かが手をかける、すべてに命が宿っている。すなわち、それをいただき、排泄をしたものにも命が宿っている。」
「人(親)の愛情を知って育った子供はよく伸びる」
そう言えば、もう20年ぐらい前になるだろうか?わが社では、年一度の全社員の催しとして、外部から講師を招いてお話しを聞いたり、社員とその家族で趣味(写真、ピアノ、三味線、踊り)などの発表会をしていた。その折に、大穣さんをお招きして、全社員でお聞きしたことを思い出した。
ユーモアたっぷりの大穣さんのお話なのですが、いつも「人生とは何か」を考えさせられる奥深いお話なのです。
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September 22, 2007

今日は但馬学の9月例会だった。今年の年間テーマは「但馬の食」である。(^_^)v だって、但馬は美味しいものの宝庫だもん!
例会担当者からこんな例会案内メールが届きました。
あなたらなら、イカに返事をしますか?
「今年度のテーマ「但馬の食」ということで、今回は日本海・但馬のイカについて学びます。
但馬の海はどうなっているのか、イカはイカなる場所に生息しているのか、イカをイカに捕らえてイカなる手法で消費・流通するのか、但馬人はイカをイカに食してきたのか、イカなる利用法・加工法があるのか、イカはイカでもどんなイカが但馬の特産と言えるのか、などなど興味は尽きません。でも、私たちはあまりにもイカのことを知らないのではなイカという気がします。」
イカないと言う選択肢はないですよね。会場は、香美町立国民宿舎「ファミリーイン今子浦」(兵庫県美方郡香美町)。

と、言うことで今月はいつもの例会よりも多い(?)メンバーが集まった。いやいや、最近は例会参加者も増加傾向。今年のテーマからして、もっと増えるかも。(笑)
例会は、日本海で獲れた「イカづくし」料理で始まった。

イカ飯(めし)、タマネギとの煮付け、焼きイカ。この他にもイカの刺し身もある。

シロイカの天婦羅。

アカイカのフライ。

マイカのゲソのツミレ入りみそ汁。

今日のイカ料理は、シロイカ、マイカ、アカイカの3種類を使った「イカづくし」料理。レストランの料理長からどのイカがどの料理の合うのか「講義」があった。
シロイカ=刺し身、天ぷら
マイカ(スルメイカ)=イカ飯、焼きもの、煮物
アカイカ=フライ
注意として、イカの煮物はタマネギとバッチリ相性が良いが、なぜかダイコンとはあわない。マイカは中途半端な茹で方、煮方では硬くてダメ。じっくりと火を入れる。

最後になってすみません。m(_ _)m いよいよ講師の玉木哲也さん(但馬水産技術センター研究員)の登場です。玉木さんには、4年前の但馬学9月例会「南から来た魚たち」で講師をしていただいている。
イカについては、あまりにも身近過ぎて、考えてみればよく知らないことばかりだと判った。玉木さんのお話で書き留めたことをそのまま書いてみます。
□但馬で漁獲するイカは、スルメイカ、ホタルイカ、ソデイカ、シロイカ
□スルメイカ(マイカ)=春から秋 釣り、底引き、定置網 1970年に25000トン(ピーク)、漁船100隻、現在は専業船は0。 イカ釣りの照明には、多量の石油を消費。(一晩の漁で重油ドラム缶2杯)。
□ホタルイカ=春。底引き。春を告げる漁。2〜3千トン。富山を抜く年もある。
□ソデイカ(アカイカ)=秋。釣り、定置網。1995年頃は1000トン。現在は200トン。分布は熱帯〜亜熱帯。北限は日本海但馬。
□シロイカ(けんさきいか)=春、秋。釣り、定置網。300トン。
□イカの足は10本?→例外でタコイカ(8本)がいるが、あとは10本。厳密には足ではなく腕だそうだ。
□日本海の入り口と出口は?=入り口は対馬海峡。出口は津軽海峡。
□日本海の水深は3000m。暖流は水深200〜250m。暖流は時速4〜5kmで流れる。
□日本海は、寒流の魚、暖流の魚が獲れる優良で魅力的な漁場。
などなど。まだまだ知っている様ではっきりと知らない「日本海」「魚貝類」「漁業」のお話を聞きました。何をお聞きしても的確に答えていただく玉木さん。好きなことに打ち込んで来られた玉木さん。「イカづくし」のお料理も良かったが、玉木さんがとてもイカした方だったのが一番印象に残りました。
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August 25, 2007

今日は但馬学の例会日。先月の総会で年間テーマを「但馬の食」と決めた。決めたは良いが、実際に「食」のテーマは、幅が広いし、奥が深いし、そして生活に密着しているので、返って、どんな切り口で取り組んだら良いのか、難しい。
そこで、今回は「但馬の食」を、幅広く総体的に学んで見たらどうか、ということでスタートしようと言うことになった。講師は、農業改良普及センター職員の大字路子さんにお願いした。テーマは「暮らしと郷土料理」。

パワーポイントを使いながら、但馬の農業(農産物)の現状、安全・安心との取り組み、農家レストランや郷土料理の紹介などをしていただく。
お仕事柄当然のことですが、生産者、地域づくりの観点からのお話が中心であった。
私たちの住む但馬では、無農薬、減農薬の作物をたくさん作っているのに、身近な住人に知られていない現状、そして、知っていても普段手に入れる流通ができていない現状、などが浮き彫りになった。
また、地域おこし的に始められた「郷土料理」のレストラン、民宿の生い立ちや苦労話などもお聞きした。そこには、食材は地元のものが使われているものが多いが、メニュー、味付けなどは、むしろお客の好みに合わしたり、新しく演出効果を狙ったりと、なかなか、「郷土であること」に苦労されている例が多いようである。
例会の後半で、但馬学としての食の取り組み方を議論した。なかなか難しいのだが、結論として、各月の「旬の食材を通じて、農・漁業の実態を知り、地域の歴史、行事、習慣を学ぶ」と言うものに至った。
今年は但馬の食通になるぞ!(食べてばっかりのツウではなくて)
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July 28, 2007

ここは養父市八鹿町にある県立「但馬長寿の里」である。今日はここで但馬学の平成19年度の総会を開いた。但馬学の活動もすでに17年目に入るが、平成18年度もきっちりと毎月第4土曜日を使って各月、充実した例会を持つ事ができた。
各月に例会は、私のこのブログでもご紹介しています。Categoriesの"tajima_tajimagaku"をクリックしてみてください。過去の例会の様子をアップしてあります。これは、私の個人的感想が主体ですが、各担当者の例会報告も提出されていますので、但馬学のホームページも是非、ご覧下さい。

今年は、既に1名、強力な新人が入会!つまり、熱心なと言う意味ですが、こう言うメンバーが加わると、また会も活発になって行く。新入会員を大募集しています。平成19年度の例会は来月から実質的に始まります。今が入会のチャンスです。興味のある方は、ぜひお声をかけてください。(但馬学のHPからでも、私のブログのコメント欄でも結構です。)
みんな協議した結果、平成19年度は「但馬の食」でいこうとなりました。過去にも、「雑穀を食べる」、「そば打ち」、「鯉料理」、「漁師の料理」、「ヘシコ」、「黒大豆味噌」、「酒造り」、「醤油」、「ゆば」、「おかき」、「豆腐づくり」などのテーマで例会を持った事がある。
今度は、但馬の食を体系的に捉えることができないか、その特徴は?などを意識しながら例会をやって行く予定です。Please join us !
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June 24, 2007

今月の但馬学は、兵庫県豊岡市下鶴井にある『万寿山 長松寺』にお邪魔して、普段の喧噪から離れ、静かに食事をいただき、座禅を行ずることで、何かを感じとろう、と言うテーマだ。

「座禅」とは、どのようにするものか漠然とは知っているが、その手順と作法となると、さっぱりわからない。最初に東堂(大田清旦)さんに、合掌の仕方から学ぶ。その後、プリントされた資料を見ながら『般若心経』をみんなで唱える。

今回のテーマの一つである、禅寺で食事を頂いた。曹洞宗の作法に則って、食事が準備されて行く。玄米、お吸い物、酢の物、たくあん、さらに、特別にユバと野菜の煮付けが付いている。
玄米は、サジで3回に分けて口に入れる。そして最低100回は噛んで食べる。ところがこれがなかなか難しい。普段、いかに忙しくいただいているのか痛感する。
箸の置き方も決められている。私は箸の向きを間違っている。(^_^;; 口をつける方が手前になっていなければならない。また、箸を持つとき、置く時も両手で(左手を添えて)しなければならない。

準備ができたら、みんなで「五観の偈」(ごかんのげ)を唱える。文言の説明はなかなか難しいが、要は、感謝、反省、修業の心、正しい目的、仏の道を成すこと、が説かれている。(箸袋の内側に書かれている)。

食事が済むと、また作法に則ってお椀を片付ける。玄米のお椀にお湯を注ぎ、残した1枚のたくあんを使って、お椀の中をゆすぐ。そのお湯をお吸い物のお椀に注ぎ、と順番に洗って行く。やがて、そのお湯の上澄みを、廻ってくる容器に注ぎ、ほんの少しだけ残す。最後に、すべてのお椀を洗ったたくあんをいただき、お湯を飲み干し、お椀を重ねて、濯ぎが終わる。容器に移した上澄みは、庭の草木に注ぎ、一粒、一滴、たりともムダにしない。

食事が終わると、いよいよ座禅である。再び、東堂さんに、座禅の仕方を教えていただく。坐蒲(ざふ)(座禅用の蒲団)が使えるので、足を組むのも比較的楽で良かった。

座禅の後は部屋を替え、方丈(前橋泰信)さんに長松寺の由縁をお聴きする。有史以前より、日本の表玄関は大陸に近い日本海側であった。曹洞宗は、本山・永平寺に源を発し、日本海の海運とともに全国に広まる。そして、但馬には、円山川の河口を中心に83ヵ寺もの曹洞宗のお寺があるそうだ。その中で、この長松寺は2番目に古い。
長松寺は、開山以来、親族ではなく、師匠から弟子へと継がれてきたそうだ。そして、総本山永平寺の貫主が、過去二人、この長松寺から出身されている。
方丈さんがおっしゃった次の言葉が印象的でした。
代々、長松寺の和尚が伝えて来たのは、
「陰徳(人知れずされたよい行ない)を積みなさい」
「偉い坊さんではなく、ありがたい坊さんになれ」
なかなか味わいのある言葉である。
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May 27, 2007

隊列は続く、金山へ。

だんだんと近くなる「廃村金山」。かつての住民の営みが見えてくる。石垣を積み、田んぼを作り稲を植える。川の両側に石垣が続く。今はそのほとんどが杉の林になっている。当時の米作りの様子は、かなりの想像力を働かせてみないと浮き上がってきにくい。集落の下流に位置する田んぼの一部は、鉱夫の墓地、集落のお墓などがあったと冨山さんから説明を受ける。

「廃村金山」に到着する。まず目に飛び込んで来るのが壊れた家屋。金山にあった学校。この建物は私が中学生時代に訪れた時には、ちゃんと建っていた。オルガンもあって、実際に音が出た。それが、今はこの姿。今回一緒に参加した私の高校時代の同級生T君によれば、まだ2年前は建っていたそうだ。
自然に朽ちて行く。その実感は、実際に目の当たりにする以外に得られない。

お風呂の釜。。。。暫し無言。
語ることは出来ない。冨山さんの自宅跡である。

お弁当を食べながら、冨山さんから、「座布団も出さず、お茶も入れずに申し訳ない」と冗談が飛び出す。ここで、当時の生活を語っていただいた。ウサギ狩り、炭焼き、濁酒(どぶろく)名人のこと、そして、発電機を備えた時のこと。

話のあった発電機は、今も冨山さん宅から30m程上流の竹やぶの中にあった。昭和30年に初めて灯りが点いたそうだ。電力が余り過ぎてモーターが加熱するので、全戸(6戸)、24時間照明を点けっぱなしするようにしていた。金山集落は不夜城だったのだ。山の上の空は真夜中もこうこうと明るかったそうだ。
発電機の設備は、村の若い衆が手分けをして運んだ。コンクリート袋は背中に1袋、手に1袋抱えて、下の村から運ぶ。今、私たちが歩いて来た道を。気が遠くなる。

冨山さん宅裏には清流が流れている。ある時にニジマスを繁殖させないかと下の集落の人に薦められ放流。数が増えるまで獲るなよと申し合わせた。当時はニワトリをさばいて食べることも多かったそうだが、川のほとりで内蔵取り出し、肉を切っていると、バチャバチャとニジマスが寄って来て臓物を食べるそうだ。そもそも食用にするために放流したニジマスだが、鶏肉を食べる姿を思い出すと、食べる気がしなくなった、と。冨山さんのお話はともかくオチがあって面白い。

下山の途中、龍王滝に立ち寄る。大きな岩を伝って滝の下まで行く。

写真右下にN君がいるので、滝の大きさがお分かりいただけるでしょうか。金山への道はこの滝の写真左側を通っている。滝の落下地点はその道のすぐ脇にある。

金山集落の面影を胸にしまいながら、それぞれのペースで下山する。

もうすぐで出発地点のところまで下山。阿瀬川に夕方の陽が差す。
新緑を眺めながらハイキングするだけでも、充分楽しめる阿瀬渓谷を、今日は冨山さんのお話を聞きながら、金山集落を訪ねることができた。かつての金山の賑わいと、金山集落の存在を語り継いで行かなければならないと強く思った。冨山さんに感謝、感謝です。ありがとうございました。
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May 26, 2007

今日は但馬学5月例会。ここ、兵庫県豊岡市日高町阿瀬渓谷を訪ねた。「ひょうご森林浴場50選」のコースとして知られている人気のハイキング・コースでもある。阿瀬渓谷には48の滝があり、素晴らしい景観をつくっている。
今日の目的地は「金山廃村」。文字通り、室町時代に遡るが、阿瀬川の上流に金、銀の鉱脈があり、かつて1000軒を超える集落があった。

今回の例会は、単なるハイキングではない。私にとって、いや参加者みんなにとって特別な例会と言っていいかもしれない。それは、「金山廃村」を案内していただくのは、その村を昭和37年12月26日に最後の住人として村を離れた冨山利一さん、ご本人なのだ。
冨山さんには、但馬学の例会でお話を伺ったことがある。1996年2月「廃村・金山の生活と山の恵み」のお話で、山の生活をお聞きし会員みんな多いに感動した。2000年4月の但馬学10周年記念行事で再び冨山さんのお話をお聞きしたのだが、村を降りるその瞬間のくだりは、何度聞いても心にジーンとくる。
考えてみれば、そんな冨山さんのお気持ちを思うと、「廃村の案内」なんてとんでもないことを依頼してしまったのかと心が痛んだが、かつてお聞きした冨山さんのお話は私の心の宝。今日は、現地で再びしっかりと心に刻みたいと誓った。

第二駐車場まで車に乗り合わせて集合する。冨山さんにご挨拶をして出発。途中のコースを案内板で確認。

歩き始めて、5分もしないうちに、道の脇にある大きな杉の木に遭遇する。かつて通り難い個所に道を付け替える為に岩を粉砕する為に発破を仕掛けた時に、その破片が多数、この杉に食い込んだそうだ。
「この杉の中にはいっぱい岩の破片が入っている。間違って伐って製材しようものならノコギリが一発でやられてしまう」と、いきなり冨山さん一流のユーモアたっぷりの案内が始まる。

下から5つ目の滝「源太夫滝」(げんだゆうのたき)。阿瀬川と若林川の合流地点にある。まだ、歩き始めて10分も経っていないのに、渓谷の景観にみんな感動である。

「ガラン橋」。今は鉄骨で架かっているが、よーく見ると橋の下には、昔架かっていた橋の木材が残っている。カズラを絡ませて架けたからカラミ橋、さらに訛ってガラン橋になったそうだ。

2004年10月の台風23号の時に、倒れたスギ、ヒノキ。

例会の担当をしたKさんと私は、この日の天気予報が気が気ではなかった。週間予報がでた1週間前の予報は「雨時々曇り」(>_<)。ところが前日になって、予報が突然「晴れ」。やったー!(^_^)の心境。

「龍王滝」への岐路に経つ冨山さん。打合せのときは、少し脚を故障されていて途中までの案内と言うことでしたが、結局、今日は金山(きんざん)まで案内していただくことができた。龍王滝は、帰路に寄ることにする。

但馬の5月は新緑が美しい。但馬学の5月例会は、毎年山、川に出向いて「気持ちよい季節」を満喫するように企画する。今年の5月例会も最高だ!

「不動滝」。阿瀬渓谷の景色を満喫しながら、上、上へと登る。

歩き始めて50分ぐらいで、「関西電力水取口」に遭遇する。阿瀬川の水の一部がここからトネンル通って、下流の「阿瀬発電所」の発電モーターを回す。
「金山廃村」までは、あと20分ぐらい。今日の行程の4分の3ぐらいまで来た。まだまだ、この上にかつて集落があった。最盛期には1000軒も。想像がつかない。
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April 28, 2007

山を越え、谷を渡り、ではないけれど、5月を目前に控えた快晴のもと、車を走らせるのは気持ちがいいもんだ。今週は東京だったので、打って変わって、この風景は、心の最高のリフレッシュだ!

今日は但馬学研究会の4月例会。向かった先は、竹野浜(兵庫県豊岡市竹野町竹野)。会場である「御用地館」(おようじかん)には駐車場が少ないので、川を渡って向こう岸の駐車場に車を止める。橋から向こうはすぐ日本海。ここは竹野川の最下流、河口である。

今日のテーマは「但馬弁」。そう、この地方の方言について。このテーマは、ずっと以前から、みんなでいつかやりたいね、と暖めていたテーマ。ただ、余りにも身近過ぎて、返って難しいテーマでもあった。
今日の講師は、竹野町在住の山田寿夫氏。竹野町、大屋町の方言を研究された方である。「方言を収集するには、いきなり訊ねてもダメ。その地域の人に溶け込み、その地域の民俗にも精通することが大切だ」と説明がある。至極、納得である。

消えゆく方言。懐かしい方言。山を越えると方言も全くことなる。そんな事例を出し合いながら笑い声と共に例会は進む。
美しい風景=きれいげな けしき、あじけえ
美人=べっぴん
全部=でんぶ、ありこまち、こけむけ、まるこ、まるごと
必ず=ぜってい、しゃっても、せってゃあー、どんでも
気の毒=けべぇーそーに、かわーしゃげな
干し大根=ほしでーこん、ほしだゃーこ
漬け物=こうこ、つけもん、くもじ
みんなで自分の地域の方言を上げて行く。私は残念ながらほとんど方言に疎い。聞いていて知らないものばかり。勉強になったというか、驚いたと言うか、こりゃあ、「方言」はとてつもないテーマなんだとだけは,しっかりと理解できました。(^_^;;
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March 24, 2007

今日は但馬学の例会日。香林会館(正福寺)は、忠臣蔵の大石蔵之助の妻りくの実家、石塚家の菩提寺。りくの遺髪塚がある。今日は、この香林会館がある田鶴野地区の公民館長さんや区長さん、地元の皆さんとご一緒に「山城」を勉強する。

今日の講師は西尾孝昌先生(八鹿高校教諭、但馬考古学研究会幹事)である。西尾先生は、但馬地域の山城をを現地調査を始め、研究されている第一人者。
山城に登る前に、「鶴城跡・備後衆山城跡見学会」と言う西尾先生の資料で事前に学習する。1300年代の中世から始まって、室町(南北朝)時代、さらに戦国時代へと繋がるこの地域の歴史を、領土争い、各地の合戦を辿る。なぜ、山城なのか?の説明をお聞きする。

講義のあと、いよいよ山城に登る。まずは、この香林会館のある備後衆山城へ。向こう(画像)に見えているのが、このあとに登る鶴城のある愛宕山。敵がこの谷を通るのを見張り、また威嚇する役目を果たしていた。

これは愛宕山から豊岡市街地を眺めたところ。あいにくの小雨模様で霞んでいるが、素晴らしい眺めである。(また天気の良い日に来なくては行けない)。左側に見えているのが、先ほど登った備後衆山城である。愛宕山(標高115m)から見てもさらに低い山。だが、このちょっとした山でも、見張りの山として、さらに、敵の来襲に備えて大いに役に立ったのである。

愛宕神社のある場所が、実質的な鶴城の本陣場所。その看板の前で西尾先生のお話を聞く。この看板の中身も西尾先生の文章である。説明を受けたあと、いよいよ山城の特徴である堀切、立て堀を横切りながら山の斜面を歩く。

山城のある斜面には、「立て堀」をいくつも掘ってある。これは敵が山を登り攻めて来る時に、敵の横移動を困難にして、上から弓矢や礫(つぶて)を当てやすくしたもの。私たちは実際に400年以上前に掘られた「立て堀」に入ってみると、なるほど、横移動は困難で、上から見下ろす仲間がもしも石でも落としてくれば太刀打ちできないのが実感できる。

いつも通る集落からわずか20分ぐらい山に入ったところにある愛宕山(鶴城)に足を踏み入れると、そこには、400年以上前に造られた堀、本陣跡、土塀、石垣、井戸、湧き水の場所に行き着く。中世・戦国時代に思いを馳せ、実際にこの身体で斜面に立つ。しばしのいにしえのロマンに浸ることが出来た。
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February 25, 2007

今月の但馬学のテーマは「ゆばとお醤油」。それぞれの製造元を訪ねてまわる。場所は兵庫県養父市である。いつのように、正午に集合してまずみんなで昼食をとる。今回は、ある食堂に持ち込みをさせていただいて、これから見学する製造元の生ゆばを同じく見学させていただくところのお醤油でいただく。美味しい!見学が楽しみだ。

まずは、ゆばを製造されている「ゆば甚」さんを訪問する。正式名は、松田甚兵衛商店。主に京都の市場に出荷されているこだわりのゆば製造元である。最近はインターネットの販売も伸びているそうだ。

工場内でゆばの製造工程をお聞きする。原料の大豆は、国産とアメリカ産とカナダ産をブレンドしている。遺伝子組換えの大豆は使用しない。当然のことながら、合成保存料はいっさい使用しない。松田商店の一番のこだわりは「水」。この地で湧く井戸水を使う。これだけは、他の地では得られないこだわりに違いない。

続いて、車で5分もかからない場所にある「中野醸造」さんにおジャマする。創業は1899(明治32)年。「マルナカ醤油」の商号で親しまれる。

100年以上前に建てられた土蔵のなかで、仕込みが行なわれている。2年間、1年間、半年前、と熟成時間が仕切りごとに違い、時間の経過とともに色が濃くなってくる。

大豆は北海道産、小麦は播州(兵庫県)、食塩は赤穂(兵庫県)と地元の素材にこだわる。1年掛けて熟成させたもろみを布で包んでしぼる。年季が入った絞り機をまえに説明を受ける。
「生ゆばと醤油」。以前は、全国各地にあったが、最近は少数になってきている。これからは、老舗で素材と製法にこだわり、家族を中心とした家業としてやっていらっしゃるところが、製造を続けいかれるのだろうと、確信した例会であった。
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January 27, 2007

今日は2007年最初の但馬学の例会。場所は兵庫県養父市大屋町。旧養父合同銀行大屋支店の見学から始まった。この建物は、2005年10月まで但馬銀行大屋支店として、現役の銀行として使用されていた。現在の所有者は、建築工房ヴェネックスの中尾康彦さん。今回の講師はその中尾さんである。

建物の中を案内してくれる中尾さん。中尾さんは但馬学のメンバーでもあるので、ざっくばらんにお話が聞ける。中尾さんは、兵庫県が主催する「近代化遺産ヘリテージマネージャー」の講座を勉強し、現在但馬地域の近代化遺産を調査し、それを将来どのように保存、活用していくのかを模索し、あちこちで提言を行なっている。自らも、この近代化遺産である銀行の建物を取得し、活用の見本として活躍されている。

昭和7年に「高原建築事務所」が設計したとされるが、その事務所の詳しい記録はない。ただ、高原氏は、当時の豊岡町役場(現・豊岡市役所)の設計を行なった事務所に勤めていたらしいとの話がある。豊岡は、大正14年(1925年)の北但大震災で被災し、その後50軒以上の復興RC造り建物が建築されているので、その経験を積んだ人であろう。
幾何学模様をふんだんに取り入れられている。説明に寄ると「クラシカルな意匠の意味性が失われ、意匠が装飾化される等、新しい時代への移行過程がくみ取れる。」とある。

場所を「大屋地域局」の会議室に移し、改めて「但馬の近代化遺産」についての報告を聞く。中尾氏は、自ら出向いて撮影した「近代化遺産」の膨大な写真を写しながら丁寧に説明をしてくれる。但馬には、まだまだ面白い建造物がいっぱいある。アッと言う間に時間が過ぎていく。
近代化遺産の定義はなんだろう、と言うお話があった。明治維新以降、明治・大正・昭和初期の産業の近代化時代に、西洋の工法を取り入れた社会インフラ(橋、トンネル、鉄道、など)、公共建築(駅、銀行、学校、役場など)、工場(グンゼ、鉱石採掘、など)、商店・繁華街(豊岡大開通り、城崎温泉)などが、現在に残っているものを言う。現役で使用されているもの、あるいは取り壊しを待っている建造物、さまざまである。
ヘリテージマネージャー(兵庫県が認定した)は、それらの近代化遺産を、お金を掛けて残すと言うのではなく、どのように使用したら良いのか、それらの遺産が、まちづくり、地域づくりの起爆剤にならないか、市民レベルで掘り起こし、支援していく役割を担っている、ボランティア活動の人達である。
近代化遺産のもう一つの特徴は、個人が登録申請できることである。一定の基準を満たせば、最終的には文化庁の認定を受けることができる。最初の窓口は、兵庫県建築士事務所協会だそうだ。
歴史と風土と人の生活が滲み込んだ遺産をどうしていくのか?市民が共有できるロマンがそこにあるような気がする。とても興味深いテーマであることを再認識した例会であった。
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December 10, 2006

今月の但馬学は、兵庫県香美町香住にある「大乗寺」を訪ねた。正式には、「高野山真言宗 亀居山 大乗寺」と言う。圓山應舉の襖絵で有名なので通称「應舉寺」と呼ばれることもある。大乗寺は、りっぱな石垣の上に「客殿」があり、お寺と言うよりもお城か砦と言った印象を受ける。昔は藩(領地)の境目に当たり、砦の役割も果たしていたのかも知れない。建物内は撮影が禁じられているので、ご存じない方は、まずこちらをご覧下さい。

本日の講師は、味田晃氏(みた・あきら)元・香住町教育長)。味田さんは大乗寺の檀家でもある。大乗寺と圓山應舉に関する第一人者。
味田氏曰く、『漢字は円山応挙でなく、「圓山應舉」と書くべし』。さらに、『「圓山應舉と大乗寺」ではなく、「大乗寺と圓山應舉」なのだ』そうだ。当時の資料を調べあげた味田さんのこだわりに、惹きつけられた。
應舉が修業中の貧しい頃に、その才能を見込んで学資を援助したのが、当時の大乗寺の住職だった。後に、画壇の第一人者になり、円山派の祖として仰がれた圓山應舉の恩人とも言える。その縁で、安永年間、1770年代の大乗寺復興に際し、應舉に障壁画を依頼し、應舉はこれに応えた。「恩返し」とも言われているが、「謝礼金」を払っている古文書がある。

障壁画は、十一面観世音菩薩の仏間を中心に13の部屋に描かれている。仏教上の東西南北の隅に、四天王の司る世界を絵画化した内容の襖絵が描かれ、寺院全体で一つの立体曼荼羅を表現していると言う。一つ一つの襖絵が素晴らしいのは、鑑賞するたびに感じていたが、各部屋の襖絵の構図や仏教的な意味が込められていることを知り、いっそう、大きな感動を覚えた。味田氏がおっしゃった「圓山應舉は、単なる絵描きに収まらず、優秀なインテリアデザイナーでもあった」と言うお話には、多いに納得した。
当時の住職・密蔵法印、弟子の密英上人が地元出身であり、圓山應舉の代表的な作品のほとんどがこの大乗寺にあることを改めて知った。私自身の中で、地元の誇りがまた一つ増えた。
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October 28, 2006

今日は但馬学研究会の10月例会。兵庫県・新温泉町の上山高原を訪ねた。まず、集合したのは「青下」(あおげ)と言う集落。国道9号線からすでに車で20分近く山間の道を走ったところにある。これ自体、とんでもない山奥なのだが、今日の例会の本命はこんなもんではない。

現地の案内とお話をしていただいた植村哲(さとし)さん。青下(あおげ)地区の長老である。植村さんは昭和50年から、畑ヶ平(はたがなる)の開拓地でダイコン作りをされている。ご自分で、話し出したら止まらない、とおっしゃるぐらい。ここで生まれ、しばらく大阪に出て、また故郷に戻って来て農業をする。そのくだりを冗談を交えながらお話を聞かせていただいた。

さあ、いよいよ3台の車に乗り合わせて、畑ヶ平へ向かう。青下(あおげ)地区自体海抜600mぐらいあると聞いたが、そこからまだ400m以上登ったところに目的地がある。途中は、このようにブナなどの広葉樹が茂っている。

途中にある、イワナの養殖場。ここの集落は3軒あるそうだ。ここからまだまだ先は長い。

途中何度も車を止めて、植村さんのお話を聞く。向こうの山の方向は新温泉町(旧・浜坂町)。山の稜線の上に日本海の水平線がある。夜は、漁り火がいっぱい眺められるそうだ。

さあ、着いたぞ!! 車から降りて、みんなの第一声は「空が近い!」だ。手を伸ばせば白い雲に届くような気がしてくる。

これが畑ヶ平(はたがなる)の開拓地。戦後昭和22年に開拓団9家族、続いて昭和25年に11家族が入植したが、自然環境は想像を絶する程厳しく、やがて姿を消してしまったそうだ。そこを昭和50年から植村さん達3人が、開拓地を買い取って、ダイコン栽培を始めた。
写真中央に見えるのは扇ノ山の山頂(海抜1310m)である。頂上の山小屋も肉眼で見える。

これが「畑ヶ平ダイコン」、高原のダイコンである。主に京阪神に出荷される。植村さんのダイコンは京都に出荷するそうだ。朝2時夜明けにかけて収穫し、午前から午後にかけて、村の人10人ぐらいに手伝ってもらって、土を洗い落とし、夕方には京都に向けて出荷する。朝掘りの新鮮なダイコンとして有名。

ここが旧・浜坂町を流れる岸田川の源流である。まさにこの地点から岸田川が始まっているのだ。畑ヶ平のダイコン畑は、この源流の上にあるので、ここから水をポンプアップしている。
あまりの自然の美しさと素晴らしい天気に恵まれて、ただただ、山、畑、木々を眺めていた。但馬学の例会がなければまずここに来ることはなかっただろう。
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September 23, 2006

今日は但馬学研究会の9月例会。ここ豊岡市は全国一のカバンの生産地。だけど「灯台下暗し」で、意外とこの地場産業のことを知らない地元の人は多い。そこで、但馬学で満を持して「カバン」を取り上げた。訪ねたのは豊岡かばんの情報発信基地「カバン・ストリート」を運営している宵田街商店街。
私たちは「宵田いっぷく堂」で昼食をいただき、宵田街商店振興組合の兼崎理事長に、カバン・ストリート誕生の経緯をお聞きし、カバンストリートを案内していただいた。(写真中央が兼崎氏)

最初は、7月にオープンしたばかりの「ARTPHERE」。画材専用バッグを切り口として豊岡かばんのオリジナルを全国に発信しようとしている。しばらくするとメンバーの目つきは、ほとんど視察モードからショッピング・モードに変わってしまっている。実は私も狙っているバッグがあるのだ。(^_^)

次は服地の店「万勝」さん。店内には「火山灰&山土染」の説明とともに素朴な風合いのバッグが陳列されている。企画・製作しているのは(株)フィードさん。東京の展示会でちょくちょくお会いして知っている。

こちらは「レコード店」からカバン作りに転職された「bags VOICE」。高校時代はよくここでレコードを購入したのが懐かしい。今は、ミシンを置いてオリジナル・バッグを製作しているそうだ。特注も受けていただけるそうだ。

カバンストリートの目玉の一つ「カバンの自動販売機」。城崎温泉へ向かう国道312号線沿いに設置されている。

「カバン・ステーション」はストリートの中心店舗。ここで人気のバッグがある。「365 birthday tote bag」。配色パターンが366種類ある。自分のバースディ・カラーのカバンを購入すると日付を入れてもらえる。誕生日のプレゼントにいいかも。

いよいよ真打です。今日のメイン講師をお願いしている植村美千男さんの登場です。場所はカバンストーリの中にある「職人・植村美千男のかばん修理工房」である。修理中のカバンや道具がところ狭しと並んだ作業台を挟んでお話をお聞きする。
「命を懸ける。背水の陣をひかないといい仕事はできない」
「若い者には、世界一のカバンを作ろうやと声をかけている」
「伝統(いいもの)を守るには、稼ぐ商品も持たなければならない」
「商売はしっかりと利益をとれば良い。でも、あとで赤恥をかかないように。オンリー・ワンの隠し味をもっているか?」
「修理をやれば、さまざまなカバン技術がわかる」
「ヨーロッパの有名ブランドのバッグもいっぱい修理してきた」
植村語録として残したい言葉の数々。本物の職人とは、植村さんのような人を言うのであろう。おっしゃっている思想は、カバンだけでなく、すべてのモノ造り、経営、人の生き方にまで波及する。
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July 23, 2006

豊岡市日高町神鍋高原にあるブルーリッジホテルで、平成18年度の但馬学研究会総会を開いた。昨年度は、15周年の節目の年だったので、記念旅行(屋久島)、記念公開講座(原田憲一氏・京都造形芸術大学教授)などを実施した。残りは、私たちが取り組んで来た「水」をテーマにした「但馬カルチャー」(研究発表誌)を来春に発行する予定だ。

「総会」と言っても、メインは、これからの活動をみんなと語り合う時間だ。但馬に対して、会員みんなの興味あることは?但馬のキーワードは?現在の但馬の課題、問題点は?などの観点から活発な意見がでる。但馬の地図を見ながら、過去、未来、海、山、川、、、、、、と連想していく。(私はこの時間がとてもワクワクとして楽しいのだ)
祭り(祀り)、神々、匠の技、鉱山、伝承、ミュージアム、穴、鉄道、湿り、地名の由来、、、、、、、、次から次にキーワードが繋がっていく。楽しいアイデアがいっぱい出た。今年の活動も楽しみになって来たぞ。(^_^)
ホームページ 「但馬学研究会」
※各月の例会案内をしています。事前に連絡いただくと、誰でも参加できます。また、随時、入会を受け付けておりますので、ご希望の方は連絡ください。
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June 25, 2006

但馬学15周年の記念行事の一つとして、公開講座を行なった。会場は、コウノトリの郷公園内にある「コウノトリ文化館多目的ホール」。会員は午前10時に集合して、資料の準備や会場の準備を行なった。現在の会員28名のうち、23名が集合した。(いつもは、15名程度だが、たくさん集まるとさらに楽しい)

さて、公開講座の講師は原田憲一氏(京都造形芸術大学教授)である。テーマは「地球を巡る水と我われの暮らし」。 地球の起源、マントルによる大陸の分断、などの話から始まり、日本列島の成り立ち、自然災害と土の更新、つまり、災害は人間に厳しい試練を与えるが、一方で、土を肥沃にして恵みも与える。災害の起源、台風2億年、地震1500万年、梅雨700万年、豪雪8000年、など、それぞれの気象現象には、それぞれの発生する原因があること。当たり前の話であるが、日常、身近に起きる現象を、その起源から考えてみると、また、地球は、生きていることや環境の問題が見えてくる。
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June 14, 2006
ときには私たちの暮らしに牙を剥きながらも、生き物を養い、環境を浄化し、地下では各種の資源を形成している水。そして大気と岩石。これらの地球規模での循環の仕組みを学びながら、百年後、千年後の将来世代までもイメージした暮らしのあり方、水との付き合い方について考えます。
『地球を巡る水と我われの暮らし』 原田憲一 (講演会パンフレットより)
但馬学研究会が15周年を迎える。設立時から関わり、以来ずっと会員として活動してきたので、やはり感慨深いものがある。設立は当初は兵庫県の援助を受けて活動が始まったが、3年目より会員の熱意と好奇心により活動を続けて今日に至っている。毎月第4土曜日が例会。今回で183回目。 「面白い」が継続のキーワードなんだと思う。
10周年記念には、動物写真家の宮崎学さん の講演会を開催した。
さて、今回の15周年では、地質学、地球環境科学の分野で活躍されている原田憲一先生の講演会を予定しています。昨年、原田先生のお話を「京都ギリシャローマ美術館の集い」でお聞きしたことがある。「サハラ砂漠の砂がアマゾンの熱帯雨林を育てている」「自然の災害は日本を豊かにする」など、大変、興味深いお話が聞けます。
誰でも参加可能です。興味のある方は、メール、あるいは、コメント欄でお知らせください。
但馬学研究会15周年記念公開講座
演題 『地球を巡る水と我われの暮らし』
講師 原田憲一氏(京都造形芸術大学教授)
日時 2006年6月24日(土) 14:00~
場所 コウノトリ文化館 多目的ホール
(兵庫県豊岡市 tel0796-23-7750)
料金 無料(入場整理券あり)
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May 27, 2006

兵庫県・香美町の「うへ山の棚田」に行った。但馬学の5月例である。香美町は、昨年、香住町、村岡町、美方町の3つの町が合併してできた町である。3町を貫くのは、矢田川という一本の川。人々の生活の基盤を川が取り持っていることがわかって面白い。ここはその香美町の一番奥、旧美方町の小代(おじろ)区の「うえ山」地区。(標高600m)。考えてみれば、但馬学の5月例会は、新緑の高原にお邪魔することが多い。とても良い季節なのだ。
棚田の向こうに見えているのは、左側が実山、右側が平野という集落である。水を引くことができ、日当りの良い場所が、棚田になり、残りの土地に人々は住む。まずは、食料確保なのだ。

「うーん、美しい!」。この「うえ山の棚田」は貫田(ぬきた)地区にある。文字通り地滑りの多い場所だったそうだ。自然の災害から身を守り、自然を生かし、自然と戦いながら、知恵を絞り、汗をかき、長い時間をかけて、出来上がったものである。
日本の棚田百選にもなっている「うへ山の棚田」。平地の少ない地域では、山を切り開き、地形に沿うように棚田を作る。食料を確保するばかりでなく、地滑りや土砂崩れ、水害等の自然災害も防いでいる。「田んぼは自然のダムだ」と言う言葉を聞いたことがあるが、まさにこの棚田見ていると実感する。

この「うえ山の棚田」の水は、湧き水を利用することから成り立っている。湧き水は、この下の集落の棚田も潤し、高い所から低い所へ、この地域の米作りを支える。偉大なる湧き水。それが、このシダ植物に覆われた山の懐から湧き出ているのだ。

今回、案内をしていただいた田村哲夫さん(香美町小代地域局農業担当)。田村さん自身、この貫田地区の出身で、この棚田で米を作っている。現在54才の田村さん。小学生の頃、つまり昭和30年代頃は、学校に行く前に牛を放牧場に連れて行き、学校から帰ると連れて帰るのが子供達の仕事だったそうだ。
田村さんのお話。
「田植えは水温が上がってくる6月始め頃が良いのだが、村の若い者は、ゴールデン・ウィークに帰省して手伝うので早くなっている」
「棚田の米作りは、大変な作業。もう数年もしたら、現在のお年寄り達がいなくなり、この棚田も姿を消していくことになる」
「子供達の農村体験やアグリツーリズムのような、受け入れを経験したことがあるが、田植えや稲刈り等の目立ったところ(イベント)だけの体験になってしまい、疑問を感じる。米作りで大切なのは、その間の水の管理である」
田村さんの話は、自らの体験と、現在の職場の情報ち合わさって、山間の農村の実態が痛いほど伝わってくる。但馬学のメンバーで、同じ香美町に住んでいるF君の言葉が心に滲みた。
「農地は作物の衣を着てこそ美しい。農地には百姓の魂が宿っている」
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April 22, 2006

今日は但馬学4月例会。3月例会は但馬学15周年記念で「屋久島旅行」だったのだが、私は友人の結婚式で欠席したので、2ヶ月ぶりの例会出席である。今日の会場は、「コウノトリの郷公園」であったので、例会前に、コウノトリの郷公園の主任研究員・大迫さんより、産卵中のコウノトリの最新情報をお聞きした。写真は、大迫さんと説明を聞く但馬学会員。向こうの山にはまだ雪が見える。手前の田んぼは、まだ水が張ってない。中央やや右にみえるポールが、現在産卵しているコウノトリの巣である。

産卵しているコウノトリのカップル。昨年9月放鳥したうちの2羽。4月14日に最初の1個の卵が確認された。以後、16日、18日、20日、とこれまでに計4個の卵を産んでいるのだそうだ。今日は5個目の日に当たるが、オスが陣取っているため、産卵はおそらく4個止まりではないか、とのこと。ふ化予定日は、5月20日前後だそうだ。無事にヒナが誕生することを祈ろう。

さて、但馬学の例会は、この会場で6月に行なう「15周年記念公開講座」の打ち合わせ会であった。講師は、地質学の原田憲一氏(京都造形芸術大学教授)、地球環境と私たちの暮らしの関わりをテーマにお話をしていただく。講演会は2006年6月24日(土)14:00~。昨年お話を聞かせていただいたが、原田先生のお話が今から楽しみである。
※話は変わりますが、ミーティングしているこのテーブルは、豊岡市城崎町で「家具工房アウゲ」の草分実さんの作品。テーブル中央部が木のブロックでできている。私は結構このテーブルはお気に入りなのです。
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February 25, 2006
但馬学の2月例会。今年度のテーマは「水」。今日は山深い里の人々と水との関わりを学ぶ。訪ねたのは、兵庫県養父市大屋町栗の下地区である。戸数39戸、人口143名。農林業、公務員、そして退職者などの家庭があり、全戸が農業に関わっている。
集落は、大屋川の支流である横行川と若杉川の合流地点にあり、水が豊富。山側は、石垣を積み、家を建てる。山からの水も豊富にある。写真は横行川サイドの栗の下地区最上流の家である。石垣、石積みの階段が美しい。
若杉川。堤防の下側に取水路があり、道路の下を通って栗の下地区に流れ込む。道路は最近できたバイパス。元は、もっと自然な姿で取水していたのであろう。栗の下地区は、明治37年に大火があり、ほとんど全戸が焼失した。その体験を生かして、防火用の水路、池を整備している。水は、上水道ができるまでは、防火用水、洗面、行水、風呂、選択、食器類、野菜、農機具類、除雪、盆栽、花木類、洗車、に利用されていた。写真奥にある建物は養鶏場であったが、臭い、水の汚染などの理由で、栗の下地区とその下流の地区とで、操業の停止を訴え、3年前より停止しているそうだ。
栗の下地区の下流の集落、筏(いかだ)の水路。ここは、除雪のための水路の利用がユニークだ。水路には、3mぐらいの等間隔に口が開くようになっている。そこから雪を捨てるのだが、ただ捨てたのでは雪で水路が詰まり、水があふれてしまう。画像のように、水路の両側に穴の開いたネットを張り、雪の両外は、水が流れるようになっている。流れる水で雪を溶かしながら、どんどん雪が捨てられる構造になっている。
筏地区の水路を見学していると、ちょうどお爺さんが除雪をされていた。元板金屋さんだったそうで、一輪車を改造して、除雪専用の二輪車にして除雪されていた。「雪が多てかなわんわのう」と言いながらの作業。
今日の講師は、栗の下地区の区長をされていた、小畑佐夫(こはた・すけお)氏。小畑さんは、元小学校の校長先生なので、栗の下地区の歴史を古文書を交えながら、わかりやすく説明していただいた。明治37年の大火の教訓を生かした村ぐるみの防火運動(夜の巡回)を100年間、毎日続けているそうです。地区の人同士は、隣に負けまいと、ある時は競うように、ある時は助け合いながら、生活してきたとのこと。山奥の集落にもかかわらず、大火の頃の43戸が現在でも39戸とほとんど減っていない。村の人々の競争と互助の精神が生きているのだろうと思った。
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January 28, 2006

但馬学例会で朝来市和田山町竹田に来た。竹田は竹田城趾で有名である。流れている川は円山川。山にはうっすらと朝降った雪が積もっている。今回のテーマは、「但馬禿げ山考〜里山の灌漑用水の管理と秩序」である。里山を「禿げ山」と「灌漑用水」と言うキーワードで見ていく。

お話を聞く前に、実地見聞として、まず竹田・諏訪神社を訪ねた。この神社の境内の横から湧き出している「湧き水」の権利を巡って、江戸時代(文化10年、1809年)に争いが起きた。神社の下流にある加都(かつ)部落と上流にある竹田部落とが農業用水の確保をするために争った。「農村共同体」を支えているのは山と 水である」と言うお話から説明が始まった。

今日の講師は宿南保氏(77歳)である。宿南先生は、八鹿町史、養父町史、和田山町史など但馬の町の歴史を編纂された、但馬の近世歴史家の第一人者である。地主と小作の関係はいつから成立したのか?と言う命題を研究するうちに近世→中世→古代と研究が進んだそうだ。

私の今日の例会の興味は「禿げ山」にあった。宿南先生のお話は、江戸時代の出石藩を例にして次のようなものであった。
・私有林と共有林があり、共有林に禿げ山が多かった。
・住民は、薪にするために木を切り、堆肥にするために草を刈った。
・薪は、暖房、炊事に、草は、農作物の肥料に利用した。
・古文書には、「赤山」が沢山あったと記述されている。(赤山=禿げ山)
・赤山では山崩れが起きた、との記述がある。
・出石藩の領主は、お米「一斗二升」で「柴札(しばふだ)」を与えた。(山に入る権利)
現在、「山が荒れている」のは事実である(スギ・ヒノキの植林、林業の衰退、崖崩れ)。 昔、少なくとも江戸時代はどうであったのか?人々と自然は共生していた、緑は豊かであった、と言うような単純なものではなさそうだ。むしろ、現在私たちが目にしている周囲の山々の方が緑豊かとも言えるのだろう。 「昔は良かった」ではなく、今の山は捨てたもんではない。緑豊かなのである。木々を利用し、植林し、育林し、山を日常の生活と関連づけて、より豊かな生活を創造していくことが大切なのではないかと思った。
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December 11, 2005

但馬学で丹波に遠征した。兵庫県立「人と自然の博物館」を見学し、研究員の三橋弘宗さんより館内の案内と研究テーマのお話等をお聞きした。私が初めて訪ねた時に、この博物館が身近な自然と風土と地球規模での自然と環境、このふたつのテーマを扱ってあるのが印象的であった。そこで、但馬学と言うローカルな活動・研究を地球・環境という大きな視野で考えてみる必要があるのではないかと会に提案させていただき、今回の例会の運びとなった。
三橋さんは、流域生態研究グループの主任研究員である。私たちと水の関わりを、生き物やヒトの生活、文化、歴史などの視点から語っていただく。これからの活動テーマのヒントとして「湧水」「流域の牧草地と遊水地の関係」「砂防ダムとヨシの群生、ホタルの数の関係」など、興味深いお話をたくさん聞かせていただいた。

第2部は、丹波篠山に移動し、鍋囲炉裏を囲みながらボタン鍋の忘年会である。今日の三橋さんのお話を思い起こしながら、今年の活動を振り返ったり、来年へ向けて何をするのか、楽しい会話が続く。最後にみんなから、今日学んだこと、印象に残ったこと、重要と思ったこと、などを「キーワード」として順番に発表した。「禿げ山」「自然科学の視点」「全体を観る〜砂防→砂地→ヨシ→ホタル」「5人家族が使用する1週間の水の量」「発想の転換〜崖崩れは緑を育む」「熊の出没〜緑が民家近くまで迫ってきた」「森は万能ではない」「寒の水」「森の香りが大切」「山里の知恵」「61歳の提言」「アベサンショウウオ」「古い民家マップ」「Tのバランス〜広がりと掘り下げ」
5時半から始めた食事も気がつけば9時を回っている。その日の最初のお客であり最後のお客となった。
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November 26, 2005

今日は但馬学研究会の11月例会で養父市大屋町に来た。講師は、森林組合に約40年間勤務された田村準之助さん。山に入り、山で働き、山とともに生きた来た人である。山林の伐採、植林、管理を通じて戦後の山を見つめ、変化を体感してきた方である。田村さんの後ろに見えるのが、「大屋富士」。この山を例にして、森林の話が始まる。山には、保安林と山林の2つの地目があること。しかも、国、県、町村の管轄と分かれる。

戦後復興の中で、昭和30年代から住宅ラッシュが始まり、建築材として木材需要が高まり、全国的に伐採が進む。さらに、エネルギー源として木炭重要もあり、若木も伐採し、禿げ山状態が増加。丸裸になった山は災害を引き起こす。そこで、政府は「全山緑化」の方針を打ち出し、「官業造林」を行なう。全国各地の「区有林」に対して資金的保証を行ない、スギ、ヒノキの植林を増進した。写真中央3分の1は、植林をせずに、自然に緑化した天然林である。赤松、硬木(シイ、クヌギ、ナラ、等)や雑木が入り交じった山である。田村さんはこの状態が山の本来の姿ではないかとのお考えである。大変興味を持って話を聞いた。

室内に入り、さらに田村さんの話は続く。山に行って採ってきた自然の針葉樹、広葉樹の小さな木を手にしながら、保水力との関連の体験談をお聞きした。針葉樹は一時的保水力に優れる。(山で夕立にあったら、針葉樹の木陰に身を寄せると全然雨にぬれることはないそうだ)。広葉樹は根を張り、山全体の保水力を高める。両方が大切なのだ。山には「適地適木」があると言う。マツは頂上近くややせた場所、スギは谷間に近いところ、ヒノキはその中間である。

「田は10年、山は100年、人は永劫」と言う言葉を引き合いに、植林して50年経った荒れ放題の現在のスギ、ヒノキの針葉樹の森を、これからの50年で、私たちの手で育てて行かなくてはならないと、田村さんが力説された。素晴らしい考えだ。普段、いつも感じていた疑問が、一気に雲が晴れたような気持ちになった。
田村さんの結びの言葉である。
「これからは育林が大切だ」
「間伐をしっかり行なう」
「それには、国が育林計画を立てることが大切」
「資金、人材を公的に負担する」
「国民全体が認識を深める。森林税などもいいことではないか」
「山に関心を持ち、役所に働きかけ役所を動かす」
「1年でも3年でも早く山に手を入れることが重要である」
私は、但馬学のこれからの活動の中で、この主張をサポートしていくことができないだろうか、とふと思った。少なくとも私自身のテーマとして、何か取り組むことができないか考えてみたい。
いささか興奮気味で、日暮れの迫った山道を運転しながら、帰途についた。
今日は素晴らしい但馬学の例会であった。感謝である。
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September 26, 2005

但馬学の9月例会で「豊岡市出土文化財管理センター」を訪ねた。私が住んでいる町、豊岡市にはおおよそ4000基を超える古墳をはじめとする遺跡がある。それらを適切に保存・活用し、将来に伝えていくことを業務としている施設である。地味な存在ではあるが、私はこうした歴史・文化の研究の成果を日常的に市民が学ぶことができることはとても重要であり、市民の文化度を下支えしていると思う。是非、行ってみてください。

訪問したときは、越前瓶の展示が行われていた。これまで豊岡市山本地区で焼かれていたと伝えられていた陶器の水瓶が実は、江戸時代に焼かれた越前焼きであったという研究発表がされた。豊岡市周辺に散在する瓶を収集し、福井県の文化財センターと連絡を取り合いわかったという。これは、江戸期の日本海の海運、円山川の水運、ひいては中世に最盛期を迎え、その後衰退したとされる越前焼きの盛衰にも新たな発見がもたらされる。説明していただいているのは、ここの研究員の潮崎さん。実は、彼は私の中・高校時代からの同級生。その頃から、彼は考古学者を目指していた。友人仲間のあいだでは「但馬のシュリーマン」と呼んでいました。(^_^)
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August 27, 2005

今日の但馬学は、「砂防の父」と言われている赤木正雄氏の生家を訪ねた。学ぶ点は2つある。1つは、もともと河川の氾濫地区に存在する生家の洪水との戦いの歴史。もう1つは、赤木正雄氏の生い立ちと「砂防の取り組み」を学ぶこと。

約900坪あると言う広大な敷地は、水害に備えて玄武岩を積み上げた石塀に囲まれている。建物は明治3年の竣工。近くを流れる円山川の氾濫は頻繁にあるが、屋敷は無事であった。近くの玄武洞から運ばれてきた玄武岩を加工した石垣。木船を有し、氾濫時には、集落民の避難所の役割も果たしてきた。

かつては牛を飼い、養蚕をし、新田開発しながら財をなしてきたのが、先代赤木一雄(13代)の自慢。門、母屋、はなれ、蔵、庭、を説明していただく。印象に残ったのは、樫、ケヤキ、松ばかりでなく、花梨、栗、柿、百日紅、など花が咲き、実をつける立派な木がたくさんあることである。借景、海風(日本海方向から来る風)、など自然の条件を最大限生かした建築は素晴らしい。

今回の案内をしていただいた赤木新太郎氏(14代)。SABOを世界言葉にした、「砂防の父」赤木正雄氏(1887年~1972年)について、たくさんの資料から説明をしていただく。滋賀県の瀬田川支流、吉野川、淀川、立山山系、飛騨山系、六甲山系など、赤木正雄氏自身が指揮をとった砂防工事は全国に及ぶ。
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July 31, 2005

但馬学研究会の総会をしました。実に15周年を迎えました。よくぞここまで続けてこれたと感慨深い。1990年の発会以来、メンバーは若干入れ替わっても、いつも約30名程度の会員で活動してきました。毎月1回の例会は、但馬地方の各地を訪ね、そこの先人の知恵、歴史、風習、景観、祭り、生活、衣食住、自然、動植物、匠の技、産業、などあらゆる分野のお話を聞いたり、議論したり、テーマごとに冊子にまとめたりしてきました。

今年のテーマは、昨年に引き続き『水』。 「但馬カルチャー」と言う冊子に纏め上げることを目標に年間活動計画を議論しました。また、今年は15周年記念の年なので、毎月の例会だけでなく、地域の皆さんにも広く呼びかけて公開講座を開催したり、海外への研修も行なおう、と懇親会の席でも話が弾む。

但馬学では、ほとんどこういう機会はないですが、昨晩はカラオケまで突入。メンバーの行きつけのお店でカウンターの中に入って占拠してしまいました。(^_^)
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July 28, 2005

ローレライ
なじかは知らねど 心わびて、
昔の伝説は そぞろ身にしむ。
寥しく暮れゆく ラインの流
入日に山々 あかく映ゆる。
野ばら
童(わらべ)は見たり 野なかの薔薇(ばら)
清(きよ)らに咲ける その色愛(め)でつ
飽(あ)かずながむ
紅(くれない)におう 野なかの薔薇
シューベルトの子守唄
眠れ 眠れ 母の胸に
眠れ 眠れ 母の手に
快き歌声に 結ばずや楽し夢
「近藤朔風」と言っても、ほとんどのみなさんはご存知ないでしょう。しかし、『菩提樹』『ローレライ』『野ばら』『シューベルトの子守唄』と言えば、誰も一度は歌ったことのある懐かしい曲ばかりj。近藤朔風は、それらの歌曲を日本語に訳詩した明治の人です。明治13年に豊岡市出石町に桜井家の5男として生まれました。父は桜井勉。気象測候所の創設、後に、山梨県知事、台湾知事、なども歴任。長男、恒次郎は、東大医学部卒、ドイツにも留学をしている。政治、学問に秀でた人材を輩出している家系を持つ朔風である。朔風自身は、東京の郁文館中学に学び、東京音楽学校を卒業。日本初のオペラの公演グルック作曲「オルフェウス」に携わる。

今回、但馬学で「朔風」について語っていただいたのは、豊岡市日高町在住の吉田一孝氏です。現在は退職されていますが、但馬で音楽と言えば「吉田先生」と言うぐらい、高校、中学校、などの合唱指導、地域の音楽活動に対して、長年、多大な貢献をされている先生です。吉田先生は、朔風についての資料をある団体から依頼され、朔風ゆかりの地を訪ねたり、大阪芸術大学に朔風の貴重な写真があることをつきとめたり、長年の朔風研究をまとめていらっしゃいます。
《2004年1月24日、但馬学例会をまとめたものです。》
(記録提出に合わせてアップしました)
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July 23, 2005

豊岡市日高町十戸(じゅうご)は、神鍋高原の下流に位置し、昔から水の豊かな集落として知られている。神鍋山は約2万年前に噴火し、その時に流れ出した溶岩がたくさんの滝を作り出した。この「十戸の滝」もそのうちの1つである。写真右下のあたりにも、湧き水の場所がある。

今回の講師は、十戸で養鱒場を経営されている田村哲郎氏です。手で示されているように、ある住宅の玄関脇にある「湧き水」の場所である。写真でも判るように、玄関の向こうには川はありません。まさに、田村さん立っている階段の真下から水が湧き出ています。

十戸に5ヶ所ある湧き水は、合わせて毎秒700リットル(ドラム缶3本!)で兵庫県下トップ。これは下流の何万人もの人々の生活を可能にする驚くばかりの湧水量です。十戸では豊富な水を利用して養鱒業、ニジマスの養殖が有名である。養鱒は、明治10年にアメリカ(ロッキー山脈)からノウハウが持ち込まれ、この十戸では昭和4年に始められた。最盛期の昭和30年~40年代はアメリカ輸出が盛んであった。近年は、ドライブインやホテル・レストランなどの業務用、イベント用のニーズが高いそうだ。

豊富な湧き水は、ワサビ栽培にも適しています。

十戸の集落をゆっくりと散策する。どの小道にも、それに沿って豊富な水の小川がある。小川には、清流にしか繁殖しない梅花藻(バイカモ)が観察できる。家と川との距離が短い。野菜を洗ったり、スイカを冷やしたり、食器を洗ったりする「川いと」も集落のあちこちで見かけることができます。
《2004年9月25日、但馬学例会をまとめたものです。》
(記録提出に合わせてアップしました)
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July 22, 2005

但馬学の例会で根兵秀太郎さんのお話をお聞きしました。根兵さんは、豊岡市竹野町田久日(たぐい)の生まれで87歳。まだまだお元気です。田久日は、山陰海岸の絶壁に囲まれた地形にある小さい集落です。平家の落人が住みついたと地元では言われている。根兵さんは、ごの漁村で生まれ、しばらく大阪で商売を学び、その後、故郷で漁師となる。潮の流れ、海の天候から魚道を把握し、独自の漁を行なっていらっしゃる。

小さい頃は、海に潜ると魚をヤスで突いて捕った「突きの名人」。また、根兵さんは「スズキの目は上を向いているのを知ってますか?」と仰る。「スズキを狙う時は、下を向いた瞬間に突くんです」。私の目は、目からウロコです。

海面を飛ぶようにすべるウキ、タコを模した針。道具はすべて自分でつくる。

ウキも当然ながら自作。なんどもなんども試作を重ねる。ボートでウキを引っ張った時に、海面上でどのような動きをとるのか納得のいくまで形状を研究するそうだ。

漁の達人曰く、「潮の流れを読むこと」「天候を知ること」「日記をつけること」が大切なのだそうだ。最初の二つは理解できるとして、なぜ、日記なのだろう?暑い時は薄味の餌、寒い時は脂っこい餌を使うそうだ。潮の流れ、天候だけではなく、道具、餌の組み合わせなど、その日の釣果とともに、記録に残されているそうだ。
上の写真は「寒ぐり」と言う。旧暦の「寒の内」の日々の天候を調べると、その年の天気予報が全てわかるそうだ。毎日毎日、海を眺め、海で漁をし、海と共に生きてきた根兵さんならではの説得力がある。
《2004年7月10日、但馬学総会での講和をまとめたものです。》
(記録提出に合わせてアップしました)
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June 25, 2005

今日は但馬学の例会日。円山川の支流、八木川の観察である。養父市万久里(やぶし・まくり)地区を訪ねた。川沿いに家並みが綺麗に並んでいる。橋から下流方向を見ている。

次は橋から上流を眺める。これだけの風景からいろんな川の情報を収集するように西村登先生より指示が出る。みょうすじ(真ん中を流れている川筋)、瀞(とろ)、淵、瀬、農業用水路、岩盤、樹木、砂地、などなど。「あなたが鮎だったら、どこが気持ちいい?」「あなたがサンショウウオだったら、居場所はどこがいい?」と生き物の立場でも川を見ることが大切だ と西村先生。

今度は実際に川に入って、石をめくって、くっ付いている川の虫を観察。西村先生は川虫の研究を50年以上、続けていらっしゃる。

トビケラ、カゲロウなどの幼虫が石にくっ付いている。西村先生はこの水生昆虫の生息数を長年調査して、川の水質の変化も研究されている。

今日は35℃近く気温が上がり真夏日。夏休みに川に入って遊んだ記憶が懐かしく思い出される。右端には農業用水をとるための水の取り口がある。これを頭首工(とうしゅこう)と言うそうだ。

川からミーティング部屋に戻り、観察したことをみんなで発表しあった。
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May 28, 2005

今日は但馬学研究会の5月例会。昨年台風23号で大きな被害を出した円山川をカヌーで下る。カヌーの先導役は友人のたじまもりさんと私。今日のブログの写真はたじまもりさんの画像を使用させていただいた。さすがに迫力ある画像だ。

大きな被害が出た日高町赤碕地区(右側)と浅倉地区(左側)を下るシーン。今年の台風シーズンまでに堤防のかさ上げに急ピッチで進む防災工事。これから10年間で900億円の予算が執行される。

私のカヌー仲間の間では”すのーべる淵”と勝手に呼んでいる河原。それは私の自宅の裏側だから。小学校の頃はここが夏休みの水泳場所だった。昼食を済ませてゴールを目指して再出発。正面に見えるのが日高町商工会館。30年前は町役場であった建物。右山裾のゴミを見ると昨年の洪水の水位が判る。

横一列になっての記念のショット。今日は但馬学以外に地元と大阪より”リバーダスト”と言うカヌークラブのメンバーも参加。川のゴミを拾いながら川くだりをするそうだ。脱帽。m(_ _)m向こうに見えるのが鶴岡橋。建設後おそらく60年以上経っている橋。幾度かの台風で老朽化し、今年か来年には取り壊されることが決まっている。アーチもなく自然に溶け込んでいる美しい橋がまた一つ消えていく。

そしてゴールに到着。初めてカヌーをする人が6人いた。川面から見る新鮮な景色、スローな時間の流れ、間近に感じる川の水、臭い、感触。「感動!」の言葉が飛び交う。最初はパドルを漕ぐのに精一杯だったメンバーも、ゴールに到達した達成感と川の体験を名残惜しんだ。さわやかな風が吹き抜けた。
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March 26, 2005

但馬学研究会の例会日。今日は浜坂町を訪ねた。浜坂地区を形成したと言われる小河川「味原川」の過去と現在を通して、住人の生活と水との係わりを学んだ。

石垣が美しい。家々によってその石の形、積み方が違うが、それでも、全体として統一感があり、散策者を飽きさせない。

今日の講師をしていただいた岡部良一氏(味原川清流会会長・以命亭館長)。元中学校の教師をされていただけあって、お話がとても上手で判りやすい。浜坂の地形、歴史、住人気質、などを時間軸と空間軸を織り交ぜてとても判りやすく説明をしていただきました。また、岡部さんは浜坂の旧家・森家を改修して造られた記念館・以命亭の館長でもあります。何度か通って、先生の岡部氏のお話を聞いてみたい。

岡部さんのお話の中で、ひとつ驚いたと言うか、残念だったのは、この味原川に平気でゴミを捨てる住民が後を絶たないというお話。味原川清流会の皆さんの清掃活動などで徐々に美しくなっては来ているそうです。
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