茶馬古道をいく〜普洱(プーアール)編(2)
プーアール市2日目は「プーアル茶博覧園」からスタート。立派な博物館と壮大な新茶樹園がある。プーアール茶の本場を意識してその力の入れようが伝わって来る。
ラフ族の家が再現してある。
家の中ではお茶をいただきながらラフ族の民族舞踊を鑑賞する。どうも観光化しているようだ。女子の振り付け(身のこなし)もどこか現代風。
博物館の中にはプーアール茶の見本、かつて茶馬古道を往来した時の馬具、古茶樹の写真と所在地、3500万年前の茶の葉の化石など、プーアールが茶のルーツであることを説明(証明)する文献などがぎっしりと展示してある。
これは茶葉古道のルートマップ。赤丸がここ普洱(プーアール)。北へ向かう赤い線上に麗江、そして香格里拉、そしてさらに北へ続くとチベット族のラサへと通じる。
今回私たちは北から南へ逆向きに辿ってきたことになる。
馬の背にプーアル茶を背負っていく茶葉古道。
外に出て電動カートで小高い丘にある茶園へ。頂上の建物に上る。
広大な土地に茶樹園広がる。市が開発し、近隣の住民たちが茶樹園を営む。
プーアール茶はこのように円盤状に圧縮され固められている。これは運搬するためにこうなった。
プーアール茶には生茶と塾茶がある。生茶は自然に徐々に発酵していく。5〜15年ぐらいのものが美味しいとされている。一方塾茶は1973年から始まった製法で熱で発酵を止めたもの。
再びでバスで茶葉古道の宿場町「那柯里」(なかり)へ。
ここから馬も人も哭く険しい山坂道を越えるので、人馬ともに一晩この集落で休んだと言う。今も残る当時の宿。
茶を運んだ馬は小柄。速くは走れないが重い荷物を担ぎ歩く持久力は卓越していると言う。
馬の蹄鉄を直す鍛冶場もある。
宿場の裏山からはいよいよ急な坂道が始まる。馬車ではないので舗装(石を張りつめる)はいらない。馬の脚が埋まらず、滑らない石が並んでいれば良いのだろう。
もう何百年、千年以上も続いた茶葉古道。古い石は馬の蹄鉄ですり減って丸くなっていると言う。
今回も案内してくれたガイドの宋さん(青いシャツ)。中国をそしてお茶の知識を十倍楽しく紹介してくれてありがとうございました。感謝、感謝、感謝です。
いよいよプーアール空港へ向かう時間に。雨期にもかかわらずほとんど雨に降られず順調な旅であった。プーアールから昆明(こんめい)乗換えで広州へ着いたのは深夜の12時。
翌朝8時30分の飛行機で関西空港に到着しました。
洋の東西を問わず生活・文化にお茶はとけ込んでいる。各民族、各国において様々なお茶があるのだが、その元となる茶樹は1種類(亜種などはあるが)。むしろその多種多様な製法、飲み方に様々な民族、文化に違いが発生していることを理解した旅でもあった。
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