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June 05, 2012

「どこかから来てどこかへ消えてゆく」〜山田風太郎の世界

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5月の但馬学例会では「山田風太郎記念館」を訪ねた。但馬出身の作家として、本来もっと知っていてもよさそうなもんだが、と自問していた山田風太郎。今回はしっかりとその人となりをしる良いチャンスだとおもって楽しみにしていた。

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1922年(大正11)、兵庫県養父市関宮町生まれ。医者の家に生まれ東京医科大学に学ぶが、学費を稼ぐために書いた探偵小説が入選。以後多くの雑誌に投稿し賞金を得るようになり、ついに1950年(昭和25)には執筆活動に専念することになる。

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例会の講師は当館の副館長である有本倶子(ともこ)さん。

そもそも地元出身の有本さんが山田風太郎のエッセイ「風眼抄」を読んで感動したことから記念館の設立が始動する。地元の誇りとして広く人々に山田風太郎さんを知ってもらい、その魅力を紹介していこうと有本さんが地元の賛同を得るために東奔西走し、また生前の風太郎本人にも会い、ついに2003年(平成15)に完成。

記念館には、山田風太郎の作品、生前使用したデスク、少年の頃のノートや資料、衣類、多数の家族との写真などが展示されている。

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私の目を引いたのは「達徳」。これは私の母校・豊岡高校(当時豊岡中学)の校友会雑誌。絵も上手だった風太郎の絵が表紙を飾り、詩や小説も掲載されている。

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新校舎建設のために取り壊される前の校舎の写真がある。私はこの時建った新校舎で学んだのだと感慨深い。その時取り壊されるべき校舎の一部は「達徳会館」という名で明治の建造物として今も残る。

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風太郎の生家。集落から小路を少し登っていったところにある。土壁の立派な塀に囲まれている。

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幼き風太郎が遊んでいた近くの神社。(関神社) 後の時代小説、忍法帳などの諸説の中で、この神社の境内で遊んだ時の記憶が登場するという。

医学生として故郷を離れ東京へ出発して以来、ほとんど故郷に帰ることのなかった山田風太郎。無くなる直前まで、その幼少の頃の記憶は鮮明に残っていたという。

記念館と生家は徒歩5分もかからない。隣家が造り酒屋で、当時の家並みを残す閑静な集落を散策するのもとても気持ち良い。

ぜひ、一度訪れて、山田風太郎の「風」に吹かれてみてください。

山田風太郎記念館
兵庫県養父市関宮605-1
tel:079-663-5522

 

 

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