『多読術』 松岡正剛
そこが出発点です。気負っていても本はカラダになじんでくれない。世の中にいろんな食べものがあるように、本は食べてみないとわからない。毎日毎日、すごい数の本が街の書店に並び、図書館にもすごい数の本があるけれど、世界中の食材と料理の数を見て、その数に驚いて食べるのをやめる人がいないように、本と接するというのは、とてもフィジカルなことなんです。
と、同時にむろんメンタルでもある。それは食べることがフィジカルで、かつメンタルでもあることに似ています。食欲とはそういうものでしょう。気分次第で「おいしさ」は変わる。量も変わる。だから読書も、いわば「食読」のようなものなんです。
『多読術』 松岡正剛・著
(気分転換でたくさんの本に向かえるんですか。)(p21~22)
本を読む行為を、「食欲」になぞらえて「食読」と説明する著者。さすが松岡正剛さん、納得です。
私にとってのセイゴオさん(本書ではセイゴオさんと呼ばれています)は、私の学生時代に遡る。当時、工作舎から『遊』と言う雑誌が発刊されていた。編集長はセイゴオさん。芸術、思想、文学、歴史、デザイン、メディアなど、他分野の情報を集め、独自のスタイルで「編集」。後に、編集工学研究所を設立。私にとって誠に、刺激的で気になる存在であり続けています。
近年の話題は、2000年2月~2004年7月にかけて、ネット上で「千夜千冊」を執筆したことだろう。これには驚く。すべて異なる著者、同じジャンルは続けず、古書から現代までのテリトリーで、しかも、自信のエピソードやリアルタイムな話題も盛り込んだ文章。私も思わず東京・原宿クエストホールで開催された達成記念パーティに駆けつてしまいました。もちろん、握手もしていただきました。(^_^)v
この本の中でこんなエピソードを発見しました。
「ぼくが最も感動して真似したのは、兵庫県の但馬に「青谿書院」 (せいけいしょいん)を開いた池田草庵の方法ですね。但馬聖人とよばれた。のちに吉田松陰が真似をするのですが、、、、」と言う行(p129~130)である。
「掩巻」(えんかん)=本を少し読み進んだら、一旦本を閉じて、その内容を追想し、アタマの中でトレースしていく方法。
「慎独」(しんどく)=読書した内容をひとり占めしないで、必ず他人に提供すると言う方法。
なんだそうです。
「青谿書院」と言えば、私の自宅から2~3kmぐらい。車でも5分ちょっとで行ける距離です。こんな近いところに、話題が飛んでくるなんて、ビックリ。まさにセイゴオさんの醍醐味です。
とても面白い本です。ご一読を。(私の「慎独」と言うことで、よろしいでしょうか。)(^_^)
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