「SAYO-NARA SAYO-KO」 山口小夜子さんを送る夜
8月14日、山口小夜子さんが亡くなった。ある「会」からご案内を受けたので東京・築地本願寺で行なわれた「山口小夜子さんを送る夜」に列席させていただいた。この日は、山口小夜子さんの誕生日でもあると言う。
1970年代、世界のトップ・ファッションモデルとしてパリ、ニューヨーク・コレクションで脚光浴びた。私との接点は(もちろん、直接お会いしたことはないが)、私の学生時代の一つの象徴でもあったように思う。
一番思い出すのは、西武劇場であった寺山修司演出の「中国の不思議な役人」と言う演劇である。寺山修司が主催する「天井桟敷」と山口小夜子が共演する話題の芝居であった。
高度成長する日本経済、音楽・アート・映画、ダンス、そしてファッションが、どんどん欧米から流入していた。私も含めて、若者は西洋文化の渦の中にいた。そんな中で、「日本人であること」「日本的なるもの」「日本の美」を、強く欧米の文化・ファッションの世界にアピールしたのが山口小夜子さんだったのかもしれない。
山口小夜子と言えば、ファッションに興味のある人もない人も、1970年代の「時代の空気」を思い起こす人が多いのではないでしょうか。
「送る夜」を企画されたメンバーの中には、友人代表として三宅一生、松岡正剛、天児牛大、鈴木清順、福原義春、高田賢三さんなどの名前が連なる。ファッション界の人はもちろん、演劇、映画、音楽、編集・出版などアーティストやメディアの人達もたくさんみえている。
本堂の柱には、往年のファッションモデル時代の画像が、そして左右の壁には大スクリーンに、山口小夜子さん自信の舞踏パーフォーマンスが映し出されている。生前の姿を思い出し、すすり泣く声が会場のあちこちから聞こえてくる。
1時間半の読経とお別れに来た人々からの献花(深紅のバラ1輪)が続いた。最後の30分は、本願寺のパイプオルガンで「ハッピー・バースディ」の歌が演奏され、映像の中で山口小夜子が「生と死」を語りながら、シルエットの鳥の大群の中に消えて行った。
私自身は、1970年代の時代を思い起こしながら、今の時代を再考する貴重な時間が持てた。「送る会」が終わっても、本堂の外では、ロウソクの灯りを囲む大勢の人達がいた。
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