『新緑の阿瀬渓谷に金山の面影を訪ねる』 但馬学5月例会(その2)
隊列は続く、金山へ。
だんだんと近くなる「廃村金山」。かつての住民の営みが見えてくる。石垣を積み、田んぼを作り稲を植える。川の両側に石垣が続く。今はそのほとんどが杉の林になっている。当時の米作りの様子は、かなりの想像力を働かせてみないと浮き上がってきにくい。集落の下流に位置する田んぼの一部は、鉱夫の墓地、集落のお墓などがあったと冨山さんから説明を受ける。
「廃村金山」に到着する。まず目に飛び込んで来るのが壊れた家屋。金山にあった学校。この建物は私が中学生時代に訪れた時には、ちゃんと建っていた。オルガンもあって、実際に音が出た。それが、今はこの姿。今回一緒に参加した私の高校時代の同級生T君によれば、まだ2年前は建っていたそうだ。
自然に朽ちて行く。その実感は、実際に目の当たりにする以外に得られない。
お風呂の釜。。。。暫し無言。
語ることは出来ない。冨山さんの自宅跡である。
お弁当を食べながら、冨山さんから、「座布団も出さず、お茶も入れずに申し訳ない」と冗談が飛び出す。ここで、当時の生活を語っていただいた。ウサギ狩り、炭焼き、濁酒(どぶろく)名人のこと、そして、発電機を備えた時のこと。
話のあった発電機は、今も冨山さん宅から30m程上流の竹やぶの中にあった。昭和30年に初めて灯りが点いたそうだ。電力が余り過ぎてモーターが加熱するので、全戸(6戸)、24時間照明を点けっぱなしするようにしていた。金山集落は不夜城だったのだ。山の上の空は真夜中もこうこうと明るかったそうだ。
発電機の設備は、村の若い衆が手分けをして運んだ。コンクリート袋は背中に1袋、手に1袋抱えて、下の村から運ぶ。今、私たちが歩いて来た道を。気が遠くなる。
冨山さん宅裏には清流が流れている。ある時にニジマスを繁殖させないかと下の集落の人に薦められ放流。数が増えるまで獲るなよと申し合わせた。当時はニワトリをさばいて食べることも多かったそうだが、川のほとりで内蔵取り出し、肉を切っていると、バチャバチャとニジマスが寄って来て臓物を食べるそうだ。そもそも食用にするために放流したニジマスだが、鶏肉を食べる姿を思い出すと、食べる気がしなくなった、と。冨山さんのお話はともかくオチがあって面白い。
下山の途中、龍王滝に立ち寄る。大きな岩を伝って滝の下まで行く。
写真右下にN君がいるので、滝の大きさがお分かりいただけるでしょうか。金山への道はこの滝の写真左側を通っている。滝の落下地点はその道のすぐ脇にある。
金山集落の面影を胸にしまいながら、それぞれのペースで下山する。
もうすぐで出発地点のところまで下山。阿瀬川に夕方の陽が差す。
新緑を眺めながらハイキングするだけでも、充分楽しめる阿瀬渓谷を、今日は冨山さんのお話を聞きながら、金山集落を訪ねることができた。かつての金山の賑わいと、金山集落の存在を語り継いで行かなければならないと強く思った。冨山さんに感謝、感謝です。ありがとうございました。
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