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October 28, 2006

「畑ヶ平(はたがなる)開拓の歴史」 但馬学10月例会(新温泉町)

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今日は但馬学研究会の10月例会。兵庫県・新温泉町の上山高原を訪ねた。まず、集合したのは「青下」(あおげ)と言う集落。国道9号線からすでに車で20分近く山間の道を走ったところにある。これ自体、とんでもない山奥なのだが、今日の例会の本命はこんなもんではない。

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現地の案内とお話をしていただいた植村哲(さとし)さん。青下(あおげ)地区の長老である。植村さんは昭和50年から、畑ヶ平(はたがなる)の開拓地でダイコン作りをされている。ご自分で、話し出したら止まらない、とおっしゃるぐらい。ここで生まれ、しばらく大阪に出て、また故郷に戻って来て農業をする。そのくだりを冗談を交えながらお話を聞かせていただいた。

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さあ、いよいよ3台の車に乗り合わせて、畑ヶ平へ向かう。青下(あおげ)地区自体海抜600mぐらいあると聞いたが、そこからまだ400m以上登ったところに目的地がある。途中は、このようにブナなどの広葉樹が茂っている。

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途中にある、イワナの養殖場。ここの集落は3軒あるそうだ。ここからまだまだ先は長い。

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途中何度も車を止めて、植村さんのお話を聞く。向こうの山の方向は新温泉町(旧・浜坂町)。山の稜線の上に日本海の水平線がある。夜は、漁り火がいっぱい眺められるそうだ。

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さあ、着いたぞ!! 車から降りて、みんなの第一声は「空が近い!」だ。手を伸ばせば白い雲に届くような気がしてくる。

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これが畑ヶ平(はたがなる)の開拓地。戦後昭和22年に開拓団9家族、続いて昭和25年に11家族が入植したが、自然環境は想像を絶する程厳しく、やがて姿を消してしまったそうだ。そこを昭和50年から植村さん達3人が、開拓地を買い取って、ダイコン栽培を始めた。

写真中央に見えるのは扇ノ山の山頂(海抜1310m)である。頂上の山小屋も肉眼で見える。

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これが「畑ヶ平ダイコン」、高原のダイコンである。主に京阪神に出荷される。植村さんのダイコンは京都に出荷するそうだ。朝2時夜明けにかけて収穫し、午前から午後にかけて、村の人10人ぐらいに手伝ってもらって、土を洗い落とし、夕方には京都に向けて出荷する。朝掘りの新鮮なダイコンとして有名。

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ここが旧・浜坂町を流れる岸田川の源流である。まさにこの地点から岸田川が始まっているのだ。畑ヶ平のダイコン畑は、この源流の上にあるので、ここから水をポンプアップしている。

あまりの自然の美しさと素晴らしい天気に恵まれて、ただただ、山、畑、木々を眺めていた。但馬学の例会がなければまずここに来ることはなかっただろう。

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