「真夏の京都を行く」 大徳寺
真夏の炎天下、京都を訪ねた。「ブラッとちょっと」と言うのとは違う。かなり覚悟して散策しました。(^_^)最初に訪ねたのは、臨済宗大徳寺派大本山の大徳寺。1325年に、開基によって創立。境内には21の塔頭(たっちゅう)が並ぶ。茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に大きな影響を与えた寺院である。
画像は山門(金毛閣)。この山門を理由に、秀吉は利休に切腹を命じた話は有名。利休が上層部を完成させ、自身の木造を安置した(門をくぐるものは利休の下を通ることになる)。秀吉の怒りを買ったのだ。
瑞峯院(ずいほういん)は、九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟により、1535年に創建された。写真は、独坐庭(どくざてい)と呼ばれる庭園。「打ち寄せる荒波にもまれながら悠々と独り坐す蓬萊山の崇高な姿を表している。」
真珠庵(しんじゅあん)の外観。一休宗純ゆかりの寺院。村田珠光作とされる庭園(史跡・名勝)、長谷川等伯の障壁画で知られる。残念ながら非公開なので門から少しお庭を拝見した。
高桐院の参道。高桐院は、1601年、細川忠興(三斎)によって建立された。三斎の妻は細川ガラシャ(明智光秀の娘)である。
私はこの「楓の庭」と呼ばれている庭園が大好きです。石庭を鑑賞する知識と心構えがまだないのかな?(^_^;; 。真夏の青空と木々の緑の中で、しばらく時間を忘れた。
客殿の西にある庭は細川家代々の墓所となっている。この石灯篭が、三斎とガラシャ夫人(明智光秀の娘)の墓塔。庭の草取りをされていた方から、この石灯籠について詳しいお話をお聞きした。
「もともと利休秘蔵の灯篭でしたが、豊臣秀吉と三斎公のふたりから請われて、利休はわざと裏面三分の一を欠いて、傷物にし秀吉の申し出を断った」「いよいよ利休が割腹する際に、三斎公に贈ったもの」などの説明をお聞きした。
ゆかりの地で、ゆかりのものを目前にすると、秀吉、千利休、細川三斎、ガラシャ夫人らが、まだ手の届きそうな、つい先日の物語に思えてくる。
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