「水と農がつくる山村の暮らし風景」 (但馬学5月例会)
兵庫県・香美町の「うへ山の棚田」に行った。但馬学の5月例である。香美町は、昨年、香住町、村岡町、美方町の3つの町が合併してできた町である。3町を貫くのは、矢田川という一本の川。人々の生活の基盤を川が取り持っていることがわかって面白い。ここはその香美町の一番奥、旧美方町の小代(おじろ)区の「うえ山」地区。(標高600m)。考えてみれば、但馬学の5月例会は、新緑の高原にお邪魔することが多い。とても良い季節なのだ。
棚田の向こうに見えているのは、左側が実山、右側が平野という集落である。水を引くことができ、日当りの良い場所が、棚田になり、残りの土地に人々は住む。まずは、食料確保なのだ。
「うーん、美しい!」。この「うえ山の棚田」は貫田(ぬきた)地区にある。文字通り地滑りの多い場所だったそうだ。自然の災害から身を守り、自然を生かし、自然と戦いながら、知恵を絞り、汗をかき、長い時間をかけて、出来上がったものである。
日本の棚田百選にもなっている「うへ山の棚田」。平地の少ない地域では、山を切り開き、地形に沿うように棚田を作る。食料を確保するばかりでなく、地滑りや土砂崩れ、水害等の自然災害も防いでいる。「田んぼは自然のダムだ」と言う言葉を聞いたことがあるが、まさにこの棚田見ていると実感する。
この「うえ山の棚田」の水は、湧き水を利用することから成り立っている。湧き水は、この下の集落の棚田も潤し、高い所から低い所へ、この地域の米作りを支える。偉大なる湧き水。それが、このシダ植物に覆われた山の懐から湧き出ているのだ。
今回、案内をしていただいた田村哲夫さん(香美町小代地域局農業担当)。田村さん自身、この貫田地区の出身で、この棚田で米を作っている。現在54才の田村さん。小学生の頃、つまり昭和30年代頃は、学校に行く前に牛を放牧場に連れて行き、学校から帰ると連れて帰るのが子供達の仕事だったそうだ。
田村さんのお話。
「田植えは水温が上がってくる6月始め頃が良いのだが、村の若い者は、ゴールデン・ウィークに帰省して手伝うので早くなっている」
「棚田の米作りは、大変な作業。もう数年もしたら、現在のお年寄り達がいなくなり、この棚田も姿を消していくことになる」
「子供達の農村体験やアグリツーリズムのような、受け入れを経験したことがあるが、田植えや稲刈り等の目立ったところ(イベント)だけの体験になってしまい、疑問を感じる。米作りで大切なのは、その間の水の管理である」
田村さんの話は、自らの体験と、現在の職場の情報ち合わさって、山間の農村の実態が痛いほど伝わってくる。但馬学のメンバーで、同じ香美町に住んでいるF君の言葉が心に滲みた。
「農地は作物の衣を着てこそ美しい。農地には百姓の魂が宿っている」
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