「山の恵みと危惧」 但馬学11月例会
今日は但馬学研究会の11月例会で養父市大屋町に来た。講師は、森林組合に約40年間勤務された田村準之助さん。山に入り、山で働き、山とともに生きた来た人である。山林の伐採、植林、管理を通じて戦後の山を見つめ、変化を体感してきた方である。田村さんの後ろに見えるのが、「大屋富士」。この山を例にして、森林の話が始まる。山には、保安林と山林の2つの地目があること。しかも、国、県、町村の管轄と分かれる。
戦後復興の中で、昭和30年代から住宅ラッシュが始まり、建築材として木材需要が高まり、全国的に伐採が進む。さらに、エネルギー源として木炭重要もあり、若木も伐採し、禿げ山状態が増加。丸裸になった山は災害を引き起こす。そこで、政府は「全山緑化」の方針を打ち出し、「官業造林」を行なう。全国各地の「区有林」に対して資金的保証を行ない、スギ、ヒノキの植林を増進した。写真中央3分の1は、植林をせずに、自然に緑化した天然林である。赤松、硬木(シイ、クヌギ、ナラ、等)や雑木が入り交じった山である。田村さんはこの状態が山の本来の姿ではないかとのお考えである。大変興味を持って話を聞いた。
室内に入り、さらに田村さんの話は続く。山に行って採ってきた自然の針葉樹、広葉樹の小さな木を手にしながら、保水力との関連の体験談をお聞きした。針葉樹は一時的保水力に優れる。(山で夕立にあったら、針葉樹の木陰に身を寄せると全然雨にぬれることはないそうだ)。広葉樹は根を張り、山全体の保水力を高める。両方が大切なのだ。山には「適地適木」があると言う。マツは頂上近くややせた場所、スギは谷間に近いところ、ヒノキはその中間である。
「田は10年、山は100年、人は永劫」と言う言葉を引き合いに、植林して50年経った荒れ放題の現在のスギ、ヒノキの針葉樹の森を、これからの50年で、私たちの手で育てて行かなくてはならないと、田村さんが力説された。素晴らしい考えだ。普段、いつも感じていた疑問が、一気に雲が晴れたような気持ちになった。
田村さんの結びの言葉である。
「これからは育林が大切だ」
「間伐をしっかり行なう」
「それには、国が育林計画を立てることが大切」
「資金、人材を公的に負担する」
「国民全体が認識を深める。森林税などもいいことではないか」
「山に関心を持ち、役所に働きかけ役所を動かす」
「1年でも3年でも早く山に手を入れることが重要である」
私は、但馬学のこれからの活動の中で、この主張をサポートしていくことができないだろうか、とふと思った。少なくとも私自身のテーマとして、何か取り組むことができないか考えてみたい。
いささか興奮気味で、日暮れの迫った山道を運転しながら、帰途についた。
今日は素晴らしい但馬学の例会であった。感謝である。
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